レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 埼玉県立久喜図書館 (2110009) | 管理番号 (Control number) | 埼熊-2015-172 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
事例作成日 (Creation date) | 2015年03月27日 | 登録日時 (Registration date) | 2016年01月28日 11時19分 | 更新日時 (Last update) | 2016年05月10日 18時47分 | |||
質問 (Question) | 嵐山町の大蔵神社に、昭和30年頃奉納されていた「漢詩」の全文を知りたい。 「敵伏して、大蔵炎」という文言と、奉納者が「義賢(ヨシカタ)保存会、板橋区教育委員 渡辺・・・」と記されていた。 | |||||||
回答 (Answer) | 該当の漢詩について、記述のある資料は見あたらなかった。 | |||||||
回答プロセス (Answering process) | 1 大蔵神社を確認する。 『埼玉の神社 大里 北葛飾 比企』(埼玉県神社庁 1992) p1406-1409「大蔵神社 おおくらじんじゃ[さんのうさま] 嵐山町大蔵522(大蔵字御所ヶ谷戸)」 「歴史 当地は、鎌倉街道の要衝として知られ、鎌倉開幕以前に築造されていた大蔵館跡がある。この館は、六条判官源為義の次男義賢(よしかた)の居城であった。義賢は木曽義仲の父で、(中略)当社は、明治35年の「日吉神社(当社)上地森林境内編入出願に付取調上申書」に、古老の口碑として、木曽義賢が大蔵館の新築後に、武神として尊信していた近江国日吉神社の分霊を天養元年(1144)に勧請したと伝える。」 2 嵐山町の地誌・歴史を調べる。 『嵐山町史』(嵐山町 1983) p217-221「大蔵の戦い」について記述あり。 p875「山王社」あり。「明治四十二年(1909)二月九日三峯、大神宮、八弊社を合祀して大蔵神社と改称す。」 『嵐山町誌』(嵐山町 1968) p415 大蔵村 山王社とあるのみ。 p593-541 義賢に関する「風土記稿」等の引用による記述あり。 『戦い・祈り・人々のくらし 嵐山町の中世 嵐山町博物誌 第5巻』(長島喜平監修 嵐山町 1997) p12-15に義賢に関する記述あるが、漢詩に関するものなし。 3 源義賢について調べる。 『吾妻鏡人名索引』(御家人制研究会編 吉川弘文館 1992) p51 義賢(キケン)治承4.9.7 4.10.13 4.12.24 元歴1.1.20 『木曽義仲のすべて』(鈴木彰[ほか]編 新人物往来社 2008) p33-40義賢の記述あり。参考資料として「吾妻鏡」「平家物語」「源平盛衰記」が挙げられている。 『日本古典全集 4-47 平家物語 上』(現代思潮社 1983) p246「父よしかたは去ぬる久寿2年8月12日鎌倉の悪太義平がために誅せられぬ。其時はいまだ二さいなりしを、母かかへて泣泣信濃へ越、木曽中三権守兼遠が許に行きて(後略)」とあり。「大蔵」の記述なし。 『有朋堂文庫 17 源平盛衰記 下』(有朋堂書店 1929) p1「父義賢は、武蔵国多胡郡の住人秩父二郎大夫重澄が養子也。義賢武蔵国比企郡へ通りけるを、去久寿2年2月に、左馬頭義朝が嫡男悪源太義平、相模国大倉の口にて討てけり。(後略)」とあり。「相模国大倉」となっているが、詳しい記述はなし。 4 質問者事前調査事項より《Google》( https://www.google.co.jp/ Google)を〈義賢 & 大蔵館〉で検索する。 《ウィキペディア》「大蔵合戦」( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%94%B5%E5%90%88%E6%88%A6 ウィキメディア財団) 「久寿2年(1155年)8月16日、平安時代末期に武蔵国で源義平が源義賢の拠点であった大蔵館を襲撃し、義賢と秩父重隆を攻め殺した戦い。(中略)保元の乱の前哨戦ともされる。」とあり。 5 《国会図書館サーチ》( http://iss.ndl.go.jp/ 国会図書館)を〈渡辺国三郎〉で検索する。 渡辺国三郎著「せんば随想 安売競争」(「輸出綿糸布月報 2(9)」日本綿糸布輸出組合 1952.9) ( http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2385482 国会図書館)国立国会図書館/図書館送信参加館内公開 《Google》を〈渡辺国三郎〉で検索する。 板橋区教育委員長 渡辺国三郎著「(3) 特別区教育委員の使命と希望」(「区政春秋 15号」特別区協議会 1960.12) ( http://www.tokyo-23city.or.jp/base/archive/kuseisyunju_3.html 公益財団法人特別区協議会)(東京都立中央図書館所蔵) 6 板橋区史を調べる。 『板橋区史 通史編 下巻』(板橋区史編さん調査会編 板橋区 1999) p108「板橋区教育委員会」の項2つあり。 渡辺国三郎の名が見られる。3期「昭和31年10月1日 昭和35年9月30日、昭和35年10月1日 昭和39年9月30日、昭和39年10月1日 昭和43年9月30日」 p498-514(教育史)に関連記述なし。 ウェブサイトの最終アクセス日は2015年3月20日。 | |||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | 板橋区教育委員会に問い合わせたところ、昭和30年代の教育委員に渡辺国三郎がいるとのこと。 | |||||||
NDC |
| |||||||
参考資料 (Reference materials) | ||||||||
キーワード (Keywords) |
| |||||||
照会先 (Institution or person inquired for advice) | ||||||||
寄与者 (Contributor) | ||||||||
備考 (Notes) | ||||||||
調査種別 (Type of search) | 事実調査 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 人物 言葉 | 質問者区分 (Category of questioner) | 個人 | |||
登録番号 (Registration number) | 1000187625 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 未解決 |