レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年04月07日
- 登録日時
- 2011/02/15 11:38
- 更新日時
- 2011/02/15 11:38
- 管理番号
- 9000006311
- 質問
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解決
甲府県を山梨県と改めた時の県庁の場所を知りたい。
- 回答
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明治4(1871)年12月31日(旧暦11月20日)に甲府県から山梨県に改称された時点での山梨県庁は、甲府城南門(追手門)外の元勤番支配役所に仮置された。現在の甲府市役所、甲府郵便局付近にあたる。
- 回答プロセス
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1.山梨県史を確認
・『山梨県史』通史編5 近現代(山梨県編集 山梨日日新聞社 2005年)には、当時の県庁所在地がわかるような記述はみあたらない。
・旧県史である『山梨県史(山梨県史料)』第1巻 明治元年−明治2年(山梨県立図書館編・発行 1958年)を確認すると、p12に「県庁所在」があり、それによると、県庁は「東海道甲斐国山梨郡甲府城南門外ニ在リ」とあり、ここは、すなわち追手前、旧幕府の時の勤番支配役所と称していたところとの旨記述がある。また出張所として甲府支庁(甲府長善寺前)・市川支庁(八代郡市川大門村)・石和支庁(八代郡市部村)の3支庁を、谷村支庁(都留郡谷村)の1副支庁を置いたことが記述されている。
2.山梨県政史を確認
・『山梨県政七十年誌』(山梨県編・発行 1962年)には、p5に「最初に県庁に使用された建物」の図がある。p6には「…県庁は、明治九(一八六七)年十一月、甲府城内の旧地(現甲府市役所、甲府郵便局付近)に施工…」という記述があり、「明治10年に建てた旧山梨県庁」の白黒写真がある。
・『山梨県政六十年誌』(山梨県編・発行 1952年)の第5章「明治の新政」第2節「山梨県の設置」の第1項「県庁立庁」の項があり「…海江田武次は、総督の命を受けて甲府に来り、庁舎に旧幕府の勤番支配役所を仮用し、国事を代理した」とある。p302には「山梨県庁のはじめ勤番支配役宅」の図の掲載がある。
・『山梨県政百年史』上巻(山梨県編・発行 1978年)、『山梨県政五十年誌』(山梨県編・発行 1942年)には、当該の記述は見あたらなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 地方自治.地方行政 (318 9版)
- 参考資料
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- 『山梨県史(山梨県史料)』第1巻 明治元年−明治2年(山梨県立図書館編・発行 1958年) (p12)
- 『山梨県政七十年誌』(山梨県編・発行 1962年) (p5-6)
- 『山梨県政六十年誌』(山梨県編・発行 1952年) (p300-302)
- キーワード
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- 山梨県庁
- 山梨県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 山梨県の県域はかつての甲斐国全域にあたる。慶応2(1866)年甲府勤番支配が廃され甲府城代が置かれた。明治元(1868)年明治政府は甲府に甲斐鎮撫府を置き、次いで三部代官に代えて、府中(県庁所在地は山梨郡甲府)、市川、石和の3県を置き、まもなく甲斐鎮撫府と3県を廃して甲斐府とした。明治2(1869)年甲斐府は甲府県と改称。明治3(1870)年には田安領を併合して甲府県域を管轄下に置き、明治4(1871)年12月31日(旧暦11月20日)に山梨県と改めた(県庁所在地は引き続き山梨郡甲府に置かれた)。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土(行政)
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000078044