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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
尼崎市立地域研究史料館 (5000006)管理番号
(Control number)
026
事例作成日
(Creation date)
2013年01月25日登録日時
(Registration date)
2013年01月25日 11時53分更新日時
(Last update)
2013年02月01日 14時50分
質問
(Question)
尼崎市築地町を通る「東青山線」「西青山線」という道路名称の由来、東京の青山通りとの関連の有無を知りたい。
回答
(Answer)
築地町は、近世初頭の尼崎藩青山氏時代に、尼崎城の南の島状の土地に新たに築かれた町です。平成7年(1995)の阪神・淡路大震災により液状化がおこり、復興都市計画・土地区画整理が実施されました。
この際、市道が新たに整備され、歴史的かつ発信力のある名称ということで、町建設当時の藩主青山氏にちなみ、東京の青山通りと同じ「青山」を採用して「東青山線」「西青山線」と命名されました。
東京の「青山」という地名は、このエリアにかつて徳川家譜代の有力大名家である青山家諸家の屋敷が集まっていたことに由来しています。徳川家康のもと関東総奉行を務めた青山忠成を祖とする青山家のうち、忠成嫡男の忠俊の系統が近世後半に丹波篠山藩主となる青山氏、忠俊弟の幸成(よしなり)の系統が寛永12年(1635)から宝永8年(1711)まで尼崎藩主であった青山氏で、のちに美濃郡上藩主となりました。
回答プロセス
(Answering process)
1 築地町の震災復興について

◆『築地地区復興記録誌』
阪神・淡路大震災時の液状化による被災の様子、市民主体の復興計画づくりの経緯などが記録されている。

2 東京の地名「青山」と、徳川譜代大名青山氏諸家の関係について

◆『国史大辞典』
「青山」「青山氏」という項目を立項しており、青山家の系統についても解説している。

◆『江戸復原図』
現在の青山のエリアに、忠俊系青山氏をはじめとする青山諸家の屋敷が建ち並び、広大な面積を占めていることが確認できる。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
近畿地方  (216)
参考資料
(Reference materials)
『築地地区復興記録誌 このまちのことを語り継いでいきたい』築地地区復興委員会・ 築地復興まちづくり10周年記念実行委員会 2007年発行 (当館請求記号 453.6/A/ツ)
『国史大辞典』1あ~い 吉川弘文館 1979年発行 (当館請求記号 203//コ-1)
『江戸復原図』東京都教育委員会 1989年発行 (当館請求記号 219/3.6/ト)
キーワード
(Keywords)
尼崎市
築地町
青山
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
地名
質問者区分
(Category of questioner)
団体
登録番号
(Registration number)
1000127394解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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