レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2002/09/05
- 登録日時
- 2006/06/29 02:11
- 更新日時
- 2009/02/20 14:09
- 管理番号
- 埼浦-2002-042
- 質問
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解決
朝鮮の京城(現ソウル)を流れている川沿いにある〈洗剣〉(せんけん)という地名の由来を知りたい。豊臣秀吉が朝鮮侵略した際、武将がそこで剣を洗ったという故事があるのではないか。
- 回答
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『東亜原色世界大百科事典 17』p287-288〈洗剣亭〉の項に由来あり。
それによると〈洗剣亭〉は、ソウル特別市鐘路区新営洞にある六角のあずまやで、付近一帯の代名詞ともなっている。この場所で、1623年光海君廃位問題が話されたおりに剣を洗ったという故事はあるが、豊臣秀吉(1536-1598年)についての記述はなかった。
- 回答プロセス
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『韓国地名総覧』『朝鮮を知る事典』『戦国逸話事典』『世界地名大事典 7 アジア・アフリカ』、NDC分類〈221〉の書架、地図類には記述なし。
『東亜原色世界大百科事典 17』〈洗剣亭〉の項に由来あり。ただし、ハングル。
『東亜原色世界大百科事典 17』〈洗剣亭〉の抜粋翻訳は以下の通り。
ソウル特別市鐘路区新営洞にある六角のあずまや。昔から広く知られたあづまやで、それを中心にして一帯(付岩洞、弘智洞、新営洞、平倉洞)をひっくるめて代名詞としても使われている。かつて、燕山君がこの場所に水閣と蕩春台等を造って遊んだりしたのだが、粛宗の時代に北漢山城・蕩春台城を築いてこの近くをソウルの北方関門にしながら、駐屯軍人達の娯楽場に変わったので、詩人・墨客等が好んで訪れ、名所になった。1623年仁祖反正時代、居士で同志の李貴・金ju(不明)等が、そこで光海君廃位問題を話したり、剣を洗ったので〈洗剣亭〉という名前が付いたと言われている。
《Yahoo KOREA》でヒットしたサイトにも由来の記述あり。
追記:鐘路区の日本語サイトに〈洗剣亭〉について記述あり。「光海君15年(1623)に仁祖が綾陽君にいる時、ここで光海君の廃位を相談し、刀を研いで刃をたてたとしたことから洗剣亭という名前の由来となったというが、不義を打ち破る正義の刀をきれいに洗って刀のさやに入れ、平和を謳歌する賛美の象徴として造られた亭子だと見ることができる。」とあり。
(http://jongno.seoul.go.kr/japanese/culture/cultural_08_01.jsp 鐘路区 2006/05/19最終確認)
- 事前調査事項
- NDC
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- アジア (292 9版)
- 朝鮮 (221 9版)
- 参考資料
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- 『東亜原色世界大百科事典 17』(東亞出版社百科事典部 東亞出版社 1982)
- キーワード
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- 韓国-朝鮮-地名
- ソウル特別市-鐘路区
- 李朝時代
- 李氏朝鮮-朝鮮時代-歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000029293