レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 埼玉県立久喜図書館 (2110009) | 管理番号 (Control number) | 埼熊-2018-046 | |||||
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事例作成日 (Creation date) | 2016年11月29日 | 登録日時 (Registration date) | 2018年10月20日 16時06分 | 更新日時 (Last update) | 2019年03月05日 14時05分 | |||
質問 (Question) | 三重県鈴鹿山脈はどこからどこを通っていたのか知りたい。 | |||||||
回答 (Answer) | 以下の資料を紹介した。 『県別全国古街道事典 西日本編』(みわ明編 東京堂出版 2003) p32「東海道〔鈴鹿峠〕」 「東海道にあって、東の箱根越えと並ぶ難所として知られていた鈴鹿峠越え。仁和三年(887)に、京都から土山を通り、坂下へ出る阿須波道として開かれた。坂下宿(関町)と土山(つちやま)宿(滋賀県土山町)との間の鈴鹿峠は標高三六七メートル。(略)箱根峠(標高八五〇メートル)を並ぶ難路として恐れられたのは、しばしば山賊が出没したからという」とあり。 『日本大百科全書 13 すけ-せん』(小学館 1987) p27「鈴鹿峠 すずかとうげ」 「三重県と滋賀県の県境にある鈴鹿山脈南端の峠。峠下を国道一号がトンネルで通ずる。887年(仁和三)、京都から土山(つちやま)(滋賀県)を経て坂下(三重県)に至る阿須波(あすは)道として開かれて以来、東国へ向う交通の要所で、箱根に次ぐ難所として知られた。江戸時代は東海道の整備によって栄え、坂下の宿は戸数300を数えた。旧道を登りつめた標高378メートル付近は広い鞍部(あんぶ)で、常夜灯や茶屋跡が現存する」とあり。 『東海道五十三次ハンドブック』(森川昭著 三省堂 2007) p188-189「坂下 さかのした」 「〔坂下〕本陣跡-法安寺-岩屋観音-片山神社-鈴鹿峠-万人講常夜灯-蟹が石-田村神社-一里塚跡-井筒屋跡-土山宿本陣跡」の経路地図あり。 | |||||||
回答プロセス (Answering process) | 1 参考図書を〈鈴鹿峠〉で検索する。 『県別全国古街道事典 西日本編』(回答資料) 『日本大百科全書 13 すけ-せん』(回答資料) 2 自館目録を〈東海道〉で検索する。 『東海道五十三次ハンドブック』(回答資料) | |||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | ||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | ||||||||
寄与者 (Contributor) | ||||||||
備考 (Notes) | ||||||||
調査種別 (Type of search) | 事実調査 | 内容種別 (Type of subject) | 質問者区分 (Category of questioner) | 個人 | ||||
登録番号 (Registration number) | 1000244179 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |