レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年03月09日
- 登録日時
- 2016/03/21 17:20
- 更新日時
- 2016/03/22 00:20
- 管理番号
- いわき総合-地域411
- 質問
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解決
三和の上三坂にある史跡、琵琶石(琵琶の形をした石)の由来が知りたい。また、琵琶石があった辺りを琵琶の庄と言ったらしいが、その理由を知りたい。桜の里だったらしい。
- 回答
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明治44年に編集された【資料①】『郷土誌三阪小学校明治44年(福島県訓令第34号)』の郷土の沿革に、「本村は古時琵琶庄桜の里と称すこれ大字上三坂の西部字山神前に琵琶形の大石あるに由つて名ずくと又大字上三坂字本町に桜の大樹あり字児の内の田面を蔽ふ故に該田地位一等を減ず桜樹枯朽れたるも今尚桜下の称存す」とある。また史跡のページに琵琶石についての記載があり、「大字上三坂愛宕山麓琵琶平にあり長さ一丈二尺巾六尺形状恰も二線を張りたる琵琶に似たり毎年日を定めて琵琶祭をなす」とあった。
【資料②】『三和村勢要覧 昭和30年度』p9沿革の9行目に、「三阪村は元は琵琶庄、三倉郷(さのくらのさと)に属していた」とある。
昭和52年に編集された【資料③】『いわきの伝説と民話』によれば、「三坂から平田の小平に行く途中にびわ石というのがあり、長さ七尺(約2m)、幅三尺(約90cm)ほどの石です。むかし、ここは琵琶の荘、桜の里といわれ、その石があったから、そのように呼ばれたのか、わからないが、その形が琵琶によく似ており、しかも、その付近はむかしの屋敷跡で、太さ七尺ほどの杉、松、桜が数十本ありました。(中略)この琵琶の荘の領主が、誰だったかは、今となっては、わかっている人はありません。(話者:田子四郎治氏)」とある。
【資料④】に収められている1826年頃に書かれた『磐城志』の地図には上三坂に琵琶石が書かれており、古墟の項目に「桜城(上三阪村)」と記載されている。
1928年に書かれた【資料④】『石城郡郷土大鑑』の三坂村の沿革の項目には、「山上に平地あり、即ち三倉城址なり。名木桜樹あり。」と書かれている。
1929年に書かれた【資料⑥】『石城郡町村史』の三坂村の項目に吉田氏記録として「三倉の里 本村大字上三坂より西南に方り、石川通り道の南方にあり。石の形、琵琶に彷彿するを以て名あり、古来三坂邊は此石に因みて琵琶石の荘三倉の里と稱へたるよし、良に故あるなり」とある。
- 回答プロセス
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狭い地域の情報のため、まず三坂の郷土史にあたり、そこで知り得た情報を裏づけるために、210の棚をブラウジング。291の史跡や318の市町村要覧、また史料による裏づけが弱いので388の伝説の棚も確認した。
- 事前調査事項
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『いわき地方地名の研究』と『三和町の石仏・石塔』は確認済。
- NDC
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- 日本史 (210)
- 地方自治.地方行政 (318)
- 伝説.民話[昔話] (388)
- 参考資料
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- 【資料①】『郷土誌三阪小学校明治44年(福島県訓令第34号)』 1912 (AL/210.11/キ-M)
- 【資料②】『三和村勢要覧 昭和30年度』福島県石城郡三和村役場 1956 (K/318.27/ミ-1955)
- 【資料③】『いわきの伝説と民話』いわき地方史研究会1977(AL/388/イ)
- 【資料④】『岩磐史料叢書 下』 岩磐史料叢書刊行会 1972 (AL/210.00/カ)
- 【資料⑤】『石城郡郷土大鑑 復刻版』黒沢常葉 国書刊行会1986(AL/210.11/ク)
- 【資料⑥】『石城郡町村史 復刻版』諸根樟一 歴史図書 1977 (AL/210.11/モ)
- キーワード
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- 琵琶石
- 琵琶庄
- 桜の里
- 三倉郷(さのくらのさと)
- 三和町 いわき市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000189682