レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/10/22
- 登録日時
- 2018/03/30 00:30
- 更新日時
- 2018/03/30 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-170076
- 質問
-
解決
信仰の対象とされた高良山の巨石「神籠石」の読み方について知りたい。「コウゴイシ」と読むらしいが,「ジンゴイシ」という読み方もあると聞いた。
- 回答
-
1 「神籠石」の読み方について
以下の資料をお調べしましたが,いずれも振り仮名は「コウゴイシ」でした。※【 】内は当館請求記号です。
資料1 国史大辞典編集委員会『国史大辞典 5』吉川弘文館, 1985【210.03/コ4/5R】
pp.329-331「こうごいし 神籠石」の項
「古代山城の遺跡。(中略)神籠石の名は福岡県久留米市高良山(こうらさん)にあるものが、高良大社に関連して用いられたものであり、学術用語として現在広く採用されている。(後略)」
資料2 京大日本史辞典編纂会『新編日本史辞典』東京創元社, 1990【210.03/シ4/R】
pp.329-330「神籠石 こうごいし」の項
「古代山城の一種.最初,山中をめぐる切石の列のみが知られ,霊域の護石であるとする説と,山城とする説とが長く対立していたが,1963年(昭和38),佐賀県帯隈山の発掘によって列席は土塁の土留石であることが判明し,山城説が立証された.(後略)」
資料3 田中琢, 佐原真 編集代表『日本考古学事典』三省堂, 2002【210.02/025/R】
pp.266-267「神籠石(こうごいし)」の項
「古代日本の城の一種。(1)福岡高良大社をめぐる列石の鎌倉時代以来の呼称に由来する用語。(後略)」
資料4 斎藤忠『日本考古学史辞典』東京堂出版, 1984【210.02/サ1-8/R】
pp.186-188「神籠石 こうごいし」の項
「(前略)室町時代初期の成立と考えられている『高良記』には「(中略)神籠石ト書テカウコイシトハヨムナリ。」とある。(中略)神籠石といわれる遺跡が学会に紹介されたのは、明治三一年(一八九八)であった。(中略)小林庄次郎は、高良山に「カウゴ石」といわれているものの存在することを聞き、これを実見した。(中略)ここに広く高良山の神籠石が紹介された。(後略)」
資料5 桜井清彦, 坂詰秀一 編『論争・学説日本の考古学 6』 雄山閣, 1987【210.2/871/6】
pp.93-122 宮小路賀宏,亀田修一著「五 神籠石論争」の項
「神籠」に「カウゴ」と振り仮名が記載されています。
資料6 喜田貞吉『喜田貞吉著作集 1』平凡社, 1981【210.3/キ1-2/1】
pp.380-385「神籠石概論」項中の「三 神籠石の名義」の項
「(前略)余が親しく研究を加えた七ヵ所の遺蹟について試みにこれを調べてみると、わずかに高良山のと女山のとがともに「コウゴイシ」といっているだけで、他はそれぞれに、異った名称を伝えたり、あるいは特別の名称なしになっているのもある。
高良山のは古くから「コウゴ石(いし)」と唱えていたものらしい。文字は神籠とも神護とも書いたようだ。(中略)文字はともかくも、古くから神官・僧徒などはその石の存在を知って、これを「コウゴ石」といっていたことは確かである。近時あるいはこれを「コウゴセキ」と読むことがある。これは当世風の漢字音になずんだ読み方で取るに足らぬ。「皮籠石」と書いた地名が所々にあるが、いずれもコウゴイシまたはカワゴイシといっているので、「イシ」であることは明かだ。(後略)」
2 「神護石(じんごいし)」について
上記資料6によると,「神籠」は「神護」とも書くようです。「神護石」の読み方について,以下の資料に記載がありました。
資料7 広瀬和雄 編著『考古学の基礎知識』角川学芸出版, 2007【210.02/075】
pp.330-331「5 歴史時代」項中の「王権と辺境支配」の項
「(前略)両施設のほかにも、九州北部から瀬戸内海沿岸部、近畿地方にかけて、七世紀後半に建設されたとされる朝鮮式山城(やまじろ)や神護石(じんごいし)系山城が展開する。(後略)」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 列石遺構
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 社会人
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000233631