レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年03月23日
- 登録日時
- 2011/04/27 13:44
- 更新日時
- 2011/04/27 13:44
- 管理番号
- 9000007284
- 質問
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解決
「とよあしはらのみずほのくに」という日本の国名の呼び方はいつ頃使われていたものか。
- 回答
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「豊葦原瑞穂国」は古代神話の中の国土の美称の一つ。「古事記」「日本書紀」に見える。
- 回答プロセス
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1.『国史大辞典』第10巻(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1997年)「とよあしはらみずほのくに 豊葦原瑞穂国」の項→古代神話の中の国土の美称の一つ。「古事記」「日本書紀」に見える。豊葦原瑞穂国は「豊葦原千五百秋瑞穂国」の簡略体で、意味は「葦の穂の豊かにめでたく生いしげる国」。国土を表す和風の美称には、ほかに「(豊)葦原中国(あしはらのなかつくに)」「大八嶋(洲)国」(記紀)がある。豊葦原瑞穂国は葦原中国とともに、神話展開上、降臨の詔以下天孫神武天皇の統治以前に用いられる呼称。
2.『国史大辞典』第11巻(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1990年)「にほん 日本」の項→「国号」の小項目あり。わが国の古い呼称として、次のものが挙げられている。
・大八洲(おおやしまくに)※「養老令」
・大八洲(島)国(おおやしまくに)※「古事記」、「日本書紀」神代
・葦原中国(あしはらなかつくに)※「古事記」、「日本書紀」神代
・豊葦原之千秋長五百秋之瑞穂国(とよあしはらのちあきのながいほあきのみずほのくに)※「日本書紀」神代
・豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらのちいほあきのみずほのくに)※「日本書紀」神代
・秋津島(洲)※「古事記」、「日本書紀」神武記・孝安記
・大日本豊秋津洲(おおやまととよあきずしま)※「日本書紀」神代
また、天平勝宝4(752)年ごろから「大和国(やまとのくに)」(「万葉集」)が用いられるようになり、以後、日本の国名にも「大和」が一般に用いられるようになった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 『国史大辞典』第10巻(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1997年) (p445)
- 『国史大辞典』第11巻(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1990年) (p105-106)
- キーワード
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- 豊葦原瑞穂国
- 豊葦原千五百秋瑞穂国
- 日本
- 国名
- 「古事記」
- 「日本書紀」
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 日本の歴史
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000085724