レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20151023
- 登録日時
- 2018/12/09 00:30
- 更新日時
- 2018/12/09 00:30
- 管理番号
- 20151023-1
- 質問
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未解決
祐徳稲荷神社の建立に関わった萬媛(萬子媛)の正確な生年が知りたい。萬媛の正式な名前は花山院萬子媛(佐賀県大百科事典p.823より)
- 回答
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当館所蔵資料から以下の記載を紹介するも、完全に回答するには至らなかった。
(参考資料・掲載内容)
『佐賀県大百科事典』p.823「祐徳稲荷神社」1686(貞享4)年、京都・花山院邸内奉祀の稲荷大神の分霊を勧請して建立されたのが祐徳稲荷神社の始まり。萬子媛は後陽成天皇の御曽孫。
『鹿島史料集 上巻』p.542 萬媛の父は左大臣花山院定好、母は前関白鷹司信尚公に降嫁させられたる准后清子内親王の室
『祐徳稲荷神社由緒記』「齢三十有七尚ホ嫁セラレザリキ」「寛文二年五月-略-入嫁セラレヌ」
(37歳で結婚したとしたら1662年が37歳か?だが37が数え年かもしれない)
『鹿島藩日記 第一巻』p.10 鹿島鍋島家系図より 直朝…宝永6年11月9日卒 89才→1709年、同後室 宝永2年閏4月10日卒 80才→1705年
『佐賀県大百科事典』No1~4を踏まえて 鍋島直朝の項を調べると「1622.1.21~1709.11.19 享年88才」とあるため、ある程度推測はできるが、明確な萬媛の生年は確認できなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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萬媛は肥前鹿島三代藩主鍋島直朝に嫁いだ京都の公家出身の人物。
絵本『萬媛』にはさまっていたチラシのようなものに年表がのっており(1626-1705年)とあるが、1626年というのは、生まれ年なのか数え年で本当は1625年なのか分からない。
因みにそのチラシには典拠として『祐徳稲荷神社関係歴史年表』とあった。既に『鹿島市史上巻』『鹿島市史真実の記録/田中保善・著』は既に見たとの事。
- NDC
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- 九州地方 (219)
- 参考資料
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- 『佐賀県大百科事典』佐賀新聞社佐賀県大百科事典編集委員会/編 佐賀新聞社 1983
- 『 鹿島史料集 上巻』峰松 正輝/編 松浦印刷(印刷) 2010.3
- 『 祐徳稲荷神社由緒記 』祐徳稲荷神社々務所/編輯 祐徳稲荷神社々務所 1928
- 『 鹿島藩日記 第一巻』三好 不二雄/編纂校正 祐徳稲荷神社宮司 鍋島 朝純 1978.5
- 『 佐賀県大百科事典 』佐賀新聞社佐賀県大百科事典編集委員会/編 佐賀新聞社 1983
- キーワード
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- 鹿島市
- 祐徳稲荷神社
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000247718