当館所蔵資料を調査しましたが、「林勝鮮」に関する記述は見つかりませんでした。なお、下記(1)(2)の資料に、類似する人名として、新発田藩の御用絵師「林勝鱗」(林雅章)の生没年に関する記述が見つかりました。
また、当館所蔵資料ではありませんが、国立国会図書館で所蔵している下記(3)(4)の資料に「林雅章」に関する記述がありました。これらの資料は、国立国会図書館デジタルコレクション[
http://dl.ndl.go.jp/]にて閲覧可能です。
なお、資料により「林勝鱗」の生没年が異なります。下記(1)の資料にのみ明治28(1895)年没と、そのほか下記(2)~(4)の資料には明治21(1888)年没と記載されています。参考までに申し添えます。
(1)『新発田市史』上巻(新発田市史編纂委員会/編 新発田市 1980)
p664「絵師」の項に、文政期から明治期にかけて新発田藩のお抱え絵師であった狩野派の林家について書かれています。林家は林閑斎(号:璘潮)、林雅章(号:勝鱗)、林晴春と親子三代にわたり新発田藩に仕え、勝鱗は明治28(1895)年、58才で没した旨の記述があります。なお、生年の記載はありませんでした。
(2)『越佐書画名鑑』第2版(荒木常能/編 新潟県美術商組合 2002)
「新発田市」の項内p111に以下のとおり林隣潮、林勝鱗、林晴春の名前のヨミ、生没年に関する記述があります。
林勝鱗(はやし しょうりん)(名:雅章)→天保2(1831)年~明治21(1888)年
林隣潮(はやし りんちょう)(別号:閑斎)→明和6(1769)年~天保14(1843)年
林晴春(はやし せいしゅん)(別号:会文斎)→文化11(1814)年~安政2(1855)年
(3)『本朝画家人名辭書』下(古筆了悦/校閲 大倉書店 1895)※当館所蔵資料ではありません。
p205(コマ数:51)下段「雅章」の項に、「林雅章ハ越後ノ人ナリ…明治廿一年歿ス年五十八」と記述があります。
(4)『日本画家大辞典』(沢田章/編 啓成社 1913)※当館所蔵資料ではありません。
p421(コマ数:281)下段「マサアキ 林雅章(二十五年前)」の項に、前掲(4)の資料を出典とする、ほぼ同内容の記述があります。