レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年6月8日
- 登録日時
- 2016/05/08 15:48
- 更新日時
- 2017/05/14 15:33
- 管理番号
- M0226
- 質問
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解決
丹葉節郎という人物について知りたい。
①生没年月日
②釧路市公民館長在任期間
③釧路でのアイヌ文化の(啓蒙)活動等事蹟・経歴
- 回答
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①1907年11月3日、父・国一郎と母・とよの長男として函館市東雲町に生まれる。
1994年2月21日、脳梗塞により釧路市医師会病院で没す。
参考資料:『丹葉節郎-郷土文化に貫く熱情-』
②1950(昭和25)年4月~1967(昭和42)年3月の期間、公民館長として在任。
③1945(昭和20)年:釧路・東京で小学校教師を務めたが、終戦後帰釧。
1950(昭和25)年4月:初代専任釧路市公民館長に就任。
7月:「白糠駒踊り」復活。
10月:釧路ユネスコ協会を設立。
第1回「阿寒湖畔マリモ祭り」開催。
1952(昭和27)年12月:吉良平治郎顕彰パレード。
1953(昭和28)年8月:釧路アイヌ古式舞踊発表会開催。
1958(昭和33)年11月:湯川秀樹博士来釧。
松浦武四郎像除幕。
1959(昭和34)年8月:釧路仏舎利塔落慶式(奉讃会会長)。
1964(昭和39)年11月:釧路市公民館が文部大臣賞を受賞。
1966(昭和41)年11月:近江屋旅館跡「小奴碑」建立。
1967(昭和42)年3月:公民館長退職。
「くしろ蝦夷太鼓」発会。
阿寒観光センター理事長に就任。
このほか、昭和50年12月阿寒湖アイヌ協会から節郎にミチ(父)の尊称が送られており、昭和52年のアイヌ湖畔アイヌ・ユーカラ劇のパリ公演実現などにも取り組んだ。また、昭和61年には釧路生活文化伝承保存研究会(現:釧路アイヌ文化懇話会)を設立するなどアイヌ文化事業に貢献した。
- 回答プロセス
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丹葉氏については各参考資料に年譜があるため、各資料を比較し、公民館長およびアイヌ文化研究者としての事績を中心にまとめた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 風俗習慣.民俗学.民族学 (380)
- 参考資料
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- 『北海道人物・人材情報リスト 1998』(p.1316) 日外アソシエーツ/編, 1998. K280.1/N/3 (資料コード:211309503)
- 『丹葉節郎-郷土文化に貫く熱情-』(p.341-344) 釧路新聞社/編, 「丹葉節郎」刊行委員会, 1983. K280.2/T (資料コード:211942478)
- 『丹葉節郎翁の足跡』(p.161-163) 丹葉節郎翁を顕彰する会/編, 片山 睦三, 1994. K280.2/T (資料コード:216043644)
- キーワード
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- 丹葉節郎
- アイヌ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000191992