レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年03月04日
- 登録日時
- 2023/05/17 11:56
- 更新日時
- 2023/05/23 14:39
- 管理番号
- 000011043
- 質問
-
解決
大内義隆が天文17(1548)年、従二位に昇叙し、死の直前の最高官位は従二位兵部卿兼大宰大弐兼侍従であったのはよく知られているが、下記ウェブ記事で昇叙の同年「参議」に任官している、と書かれている。
この事実が明記された史料があれば教えて欲しい。
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JBpress 2023年2月28日(同日のyahoo!ニュースでも掲載)
「「日本無双の大名」大内義隆はなぜ、陶隆房の逆心を放置したのか」(執筆=乃至政彦)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/74078
- 回答
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『大内義隆』(回答資料1)p279に、以下のとおり大内義隆の参議任官に関する記述があり、根拠となる史料も記載あり。
“そして、この七月、義隆は参議に任官したと思われる。(中略)「大外記枝賢申兼国例」によると、「参議兼国例」として「従二位多々良朝臣義隆 歴二年」とあり、「天文十九年七月任」とある。(中略)義隆は前述したように、肥前国少弐家による大宰少弐を「僭称」と非難していたことからしても、参議は自称ではないだろう。(中略)ただ、これは『公卿補任』には記録されなかった。義隆は参議任官後、一年たらずで死去することになるので、凶例ということで記録されなかったのだろう。”
文中の「大外記枝賢申兼国例」は、インターネット上に印影(写真画像)が公開されている。
国立歴史民俗博物館「館蔵資料画像データベース」
・資料名称:大外記枝賢申兼国例
・コレクション名:廣橋家旧蔵記録文書典籍類
・資料詳細画面 https://www.rekihaku.ac.jp/database/syuz/H-63-447
→3枚目の印影に該当の記述あり。
また、『山口市史 史料編大内文化』(回答資料2)「第四章 叙任・歴名」の「2 公卿補任」(p119-121)には、天文10年から天文19年までの「大内多々良義隆」の叙任の一覧があるが、すべて「非参議」となっている。この一覧の出典は“黒板勝美編 『新訂増補 国史大系 公卿補任』第3篇 吉川弘文館” とある。
当館所蔵の 『新訂増補 国史大系 第55巻』公卿補任 第三編(回答資料3)の該当頁を確認したところ、天文19年の「大内多々良義隆」の官位は、「非参議 従二位」で、「参議」ではなかった。(p427)
回答資料3は、「国立国会図書館デジタルコレクション」の個人向けデジタル化資料送信でも閲覧可。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3431668/1/233
(黒板勝美 編『国史大系』第55巻,国史大系刊行会,昭和11. 国立国会図書館デジタルコレクション(233コマ)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (21 9版)
- 参考資料
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1.藤井崇 著 , 藤井, 崇, 1978-. 大内義隆 : 類葉武徳の家を称し、大名の器に載る. ミネルヴァ書房, 2019. (ミネルヴァ日本評伝選)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I029957710-00 , ISBN 9784623086788 (p279) -
2.山口市 編 , 山口市. 山口市史 史料編 大内文化. 山口市, 2010.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011039541-00 (p119-121) -
3.黒板 勝美 編輯 , 黒板 勝美. 国史大系 : 公卿補任 第三篇 第55巻 新訂増補. 国史大系刊行会, 1937.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I060732711-00 (p406-427)
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1.藤井崇 著 , 藤井, 崇, 1978-. 大内義隆 : 類葉武徳の家を称し、大名の器に載る. ミネルヴァ書房, 2019. (ミネルヴァ日本評伝選)
- キーワード
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- 大内, 義隆, 1507-1551
- 官職--歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000333237