レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年08月21日
- 登録日時
- 2021/11/20 12:59
- 更新日時
- 2021/11/20 15:19
- 管理番号
- 9000032429
- 質問
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解決
1582(天正10)年、織田信長による甲州征伐のため、武田勝頼は新府城から田野まで落ち延びた末自害するが、その時のルートが詳しく書かれている資料を探している。
- 回答
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研究資料としては、質問者が調査済み資料として挙げていた『武田氏滅亡』 (平山優/著 KADOKAWA 2017)が、過去の研究成果を踏まえて詳しく書かれた資料で、出版年も新しい。
この他、比較的詳細な資料、実際のルートがわかりやすい資料として次の4冊を紹介した。
(1)『甲州夏草道中記』下巻(山梨日日新聞社 1970)
収録の「“武田落ち”の道を行く」は、勝頼が落ち延びた道筋を史料から考察し、実際に歩いた記録。勝頼が通ったと推定される経路を記した略図が掲載されている。
(2)『定本武田勝頼』(上野晴朗/著 新人物往来社 1978)
「落去の道筋はおおよそつぎのように語り継がれている」として、新府城から田野までのルートとその日付が書かれている。
(3)『武田勝頼』(柴辻俊六/著 新人物往来社 2003)
勝頼一行の逃避路として、韮崎から竜地、古府中、一条信竜屋敷、甲斐善光寺、勝沼の大善寺が挙げられている。
(4)『武田勝頼公は生きている』(平山三郎/著・発行 1978)
口絵に「武田勝頼一族落去の略図」「武田家終焉地付近の略図」がある。また、「四、運命の迷路」「五、笹子峠への道」「六、落日への途」「七、決戦」では、物語的な書き方ではあるが、新府城を出てから自刃するまでに通った場所を細かく追っている。
- 回答プロセス
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1.事前調査の『武田氏滅亡』(平山優/著 KADOKAWA 2017)を確認。
p.646「どのような道筋を辿って、郡内岩殿城を目指したのだろうか」として以下詳細なルートを追っている。「甲斐国志」等の史料のほか、参考資料として『定本武田勝頼』(上野晴朗/著 新人物往来社 1978)と山梨郷土研究会の『甲州夏草道中記』(山梨日日新聞社 1970)が挙げられている。それぞれ記述を確認する。
2.武田勝頼関連資料を見る。
武田家終焉の地に伝わる物語をまとめた『武田勝頼公は生きている』(平山三郎/著・発行 1978)があり、詳しく書かれている。また、『武田氏滅亡』の参考文献に挙げられていた『武田勝頼』(柴辻俊六/著 新人物往来社 2003)に、わかりやすく書かれている。
- 事前調査事項
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『武田氏滅亡』(平山優/著 KADOKAWA)
- NDC
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- 中部地方 (215 10版)
- 参考資料
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山梨日日新聞社/編 , 山梨日日新聞社. 甲州夏草道中記 下巻. 山梨日日新聞社, 1970.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005732315-00 (pp.197-217) -
上野晴朗 著 , 上野, 晴朗, 1923-2011. 定本武田勝頼. 新人物往来社, 1978.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001367184-00 (p.323) -
柴辻俊六 著 , 柴辻, 俊六, 1941-. 武田勝頼. 新人物往来社, 2003.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004339055-00 , ISBN 4404031718 (pp.228-229) -
平山 三郎/著 , 平山‖三郎. 武田勝頼公は生きている : 亡父の炉辺談話から. 平山三郎, 1978.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005545355-00 (口絵、pp.41-47,48-57,58-67,68-80)
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山梨日日新聞社/編 , 山梨日日新聞社. 甲州夏草道中記 下巻. 山梨日日新聞社, 1970.
- キーワード
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- 武田勝頼
- 武田氏
- 織田信長
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000307868