レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年7月18日
- 登録日時
- 2020/12/25 13:30
- 更新日時
- 2021/03/03 14:17
- 管理番号
- 県立長野-20-076
- 質問
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解決
普済寺(ふさいじ 長野市鶴賀田町)にある常夜灯について、『東鶴賀町変遷史』では、「貸座敷従業員一同」が寄贈したとあるが、この従業員一同に娼妓は含まれるのか。
- 回答
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普済寺の常夜灯について記載のある資料は何点かあったが、いずれも「貸座敷従業員一同」が寄贈した旨の記述ばかりで、はっきりした記述はなかった。
明治5年の「芸娼妓解放令」以降、当時の「遊女営業規則」「娼妓芸妓貸席規則」を見ると、実態はともかくとして、娼妓は別事業者として座敷を借りることによって営業するように書かれているので、貸座敷業者の従業員には含まれにくいように思われる。
また、北村雄著「鶴賀新地聞書(一)」『須高』20号p.58-79 の78pに、鶴賀遊郭の栄屋の娼妓一同が善光寺に石灯籠一組を寄付していることが紹介されている。しかし、普済寺の常夜灯の寄贈者である従業員に娼妓が含まれるか言及した資料は確認できなかった。
- 回答プロセス
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1 『東鶴賀町変遷史』を確認する。普済寺は曹洞宗の寺とわかる。
2 『写真集 長野県 北信の寺院 2』グリーン美術出版 2003 【N181/210/2】をはじめとするN181にある、寺院を紹介する資料を見ていくが、常夜灯についての詳細な記載はない。
3 『長野市誌』および『長野県史 近代資料編 第10巻(1) 宗教』を調査するも、記載なし。
4 郷土史学の雑誌記事を探す。当館所蔵資料を「鶴賀」「遊女」「娼妓」等で雑誌記事検索をする。普済寺の常夜灯について、寄進者についての詳細を明らかにした資料は確認できなかった。しかし、『須高』の20号, 21号に掲載されている北村雄の「鶴賀新地聞書」に、当時の「遊女営業規則」等の掲載があり、法律上は娼妓自身が個人事業者として営業している形をとっていたことがわかった。
5 web上の普済寺のサイト、曹洞宗関係のサイトも見たが、常夜灯に触れたコンテンツはなかった。
<調査資料>
・北村雄著「鶴賀新地聞書(一)」『須高』20号p.58-79
・北村雄著「鶴賀新地聞書(二)」『須高』21号p.164-175
・鬼頭康之ほか著「鶴賀遊郭素描」『市誌研究ながの』第3号 長野市史編さん委員会 1996 p.149-212
・『長野史誌 第8巻旧市町村編』 長野市誌編さん委員会編 長野市 1997 【N212/318/8】
・『長野市権堂町史』 権堂町史編集委員会編 権堂町 1993 【N212/273】
・『遊女の社会史』 今西一著 有志舎 2007 【384.9/イハ】
・『シリーズ 遊郭社会2 近世から近代へ』 佐賀朝ほか編 吉川弘文館 2014 【N242/86/3】
・『遊郭をみる』 下川耿史ほか著 筑摩書房 2010 【384.9/シコ】
- 事前調査事項
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『東鶴賀町変遷史』東鶴賀町変遷史編纂委員会編 東鶴賀町 2012 【N212/510】p.53
- NDC
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- 中部地方 (215 10版)
- 社会.家庭生活の習俗 (384 10版)
- 参考資料
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須高 (20). 須高郷土史研究会, 1985-03., ISSN 09103260
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002315980-00 (鶴賀新地聞書(1)p.58-79) -
須高 (21). 須高郷土史研究会, 1985-09., ISSN 09103260
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002316443-00 (鶴賀新地聞書(2)p.164-175)
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須高 (20). 須高郷土史研究会, 1985-03., ISSN 09103260
- キーワード
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- 普済寺
- 遊郭
- 長野市-歴史
- 供養塔
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000291490