レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年01月01日
- 登録日時
- 2020/06/13 12:46
- 更新日時
- 2020/06/13 12:46
- 管理番号
- 市川20200101-02
- 質問
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解決
力士の鶴ヶ濱(奈良県出身1893.7.19-1939.1.16)が、市川市で料亭「小松園」を経営していたと聞いた。これは、現在ある料亭「栃木家」のことなのか知りたい。
- 回答
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奈良県葛城市ホームページ内の葛城市出身の力士を紹介するページに、鶴ヶ濱増太郎という人物が掲載されている。その経歴に、「千葉県市川市の料亭「小松園」を経営する。」との記載があった。(https://www.city.katsuragi.nara.jp/index.cfm/14,18743,41,388,html2020.3.21確認)
料亭「小松園」と「栃木家」が同一か否かについては、『市川まちかど博物館』(いちかわ・まち研究会 1997)のp.110に、昭和3年頃市川市内にあった料亭が「市野家、市栁、一直園、田圃、小松園、鴻の字、松雲閣、北邑、末広、菜の花、丸花、黒松、東華園、栃木家、山水園、鴻月、などなど。」と列挙されており、これをみるかぎり「小松園」と「栃木家」は別の料亭と思われる。また、『松井天山 千葉県市川町鳥瞰図 昭和3年』(聚海書林 1989)と、現在のゼンリンの地図を照らし合わせてみても、「小松園」は菅野の国府台女子学院の南にあり、現在もある「栃木家」は昭和3年当時と同様にJR市川駅近く国道14号線沿いに位置し、別の場所にあったことが分かる。
さらに、前出の葛城市ホームページの力士紹介文によれば、鶴ヶ濱の角界引退は「大正15年5月場所後」であり、「小松園」の経営が始まったのは、大正15年以降であると推察すると、千葉県公式観光物産サイト(https://maruchiba.jp/sys/data/index/page/id/e187100_jp 2020.3.21確認)に紹介されている「市川・料亭 栃木家」は、「明治17年創業・130年の歴史」とあることから両者は別の料亭であると考えられる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000283099