レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2022/03/15 19:44
- 更新日時
- 2022/03/20 17:50
- 管理番号
- 2022事例-24
- 質問
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解決
良覚院丁公園を守るために都市計画道路をずらしたと聞いたことがあるが、その経緯を知りたい。
- 回答
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町名の由来となった良覚院は、伊達家代々の祈祷寺(戦の無事などを祈願する寺)で藩の手厚い保護を受けていたが、明治維新後廃寺となり庭園も寂れ民有地となっていた。
明治中頃、庭師が5年をかけて再興し、明治 31 年には茶室も建てられ趣き深い庭園となった。戦災時、庭を囲むたくさんの樹々が防火帯となって空襲から茶室を守った。
この長い歴史をみつめてきた庭園が、戦後仙台市の復興事業の区画街路計画で南北に分断されることになったとき、市民の間から存続を望む声が多くあがり、市はこうした要望をふまえて計画を一部変更し公園を残すことになった。
また藤崎百貨店から 250 万円の寄附を受けそれを庭園の保存費にあて、公園内の茶室は「緑水庵」と名づけられた。
昭和 35 年には所有者の佐藤源助(藤崎の役員)から仙台市に寄附され、良覚院丁公園として市の所有となり名園として今に残っている。
- 回答プロセス
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『仙台都市計画史』を見たが街路計画変更の記述はなかった。河北新報データベースでキーワード「緑水庵」「良覚院丁」で検索すると多数ヒットした。その中で 2007 年 8 月 6 日夕刊「仙台まち歩き 良覚院丁・片平丁/西大立目祥子」のなかに街路計画変更の記事を見つけ、記事をまとめた資料も確認。藤崎百貨店の社史、『戦災復興余話』『伊達治家記録』のなかにも都市計画道路変更の記述や庭園の歴史が詳しく書かれていた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 東北地方 (212)
- 系譜.家史.皇室 (288)
- 商業経営.商店 (673)
- 参考資料
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- 『戦災復興余話』 仙台市開発局 1980 年
- 『仙台都市計画史』 仙台市開発局計画部都市計画課 1988 年
- 『仙台まち歩き 寄り道・道草』 西大立目 祥子/著 河北新報出版センター 2010 年
- 『伊達治家記録 20』 平 重道/責任編集 宝文堂 1981 年
- 『仙台市史 続編第 2 巻 経済文化編』 仙台市史続編編纂委員会 1969 年
- 『藤崎 170 年のあゆみ』 藤崎 1990 年
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オンラインデータベース
「河北新報データベース」
- キーワード
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- 良覚院丁公園
- 伊達家
- 茶室
- 緑水庵
- 都市計画
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000313636