レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/11/27
- 登録日時
- 2018/06/16 11:59
- 更新日時
- 2018/08/30 15:53
- 管理番号
- 堺-2018-001
- 質問
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解決
反正天皇が住んでいたという丹比柴籬宮の現在地はどこか。
- 回答
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松原市上田7丁目の柴籬神社のあたりにあったと伝承されているが、宮の存在を確かめる遺構や遺物はまだ見つかっていない。『松原市史』第1巻の付図(松原市域遺跡地図)に推定地が記されている。(美原図書館)
- 回答プロセス
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まず『美原町史」を確認。
・『美原町史』第1巻p157に柴籬宮推定地として松原市上田の柴籬神社の写真が掲載されている。
松原市のことなので、『松原市史』でも確認。
・『松原市史』第1巻p112に柴籬宮の所在地について、次のように掲載されている。「丹比柴籬宮の所在地についてはいくつかの伝えがあるが、明確ではない。(中略)近世では、『河内志』丹北郡の条に、「松原荘植田村広庭神祠の東北に在り」とみえ、『河内名所図会』も、「松原村上田、広庭神祠の東北をいふ」とする。この広庭神祠は、いまの松原市上田町の柴籬神社であり、伝承地としては有力であるが、確証はない。近年、大阪府教育委員会によって一部発掘調査が行われたが、宮跡を確認するには至らなかった。」
『松原市史』以後の新しい情報がないか確認。
・松原市のHPに「7.反正天皇と丹比柴籬宮」というページがあり(http://www.city.matsubara.osaka.jp/index.cfm/10,56,51,258,html)(平成29年8月13日確認)、遺構や遺物はまだ見つかっていないとしながらも、「柴籬神社のあたりは、宮号を引き継いだ神社名や、神社西方に残る天皇にゆかりをもつ「反正山(はじやま)」の地名などから、宮跡の有力な候補地であることは疑いありません。」とある。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 8版)
- 地理.地誌.紀行 (290 8版)
- 参考資料
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大阪府教育委員会/[編]. 丹比柴籬宮跡発掘調査概要 : 松原市新堂所在 1. 大阪府教育委員会.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I053583493-00 -
美原町史編纂委員会 編 , 美原町 (大阪府). 美原町史 第1巻 (本文編). 美原町, 1999.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002890963-00 -
松原市史編さん委員会 編 , 松原市史編さん委員会. 松原市史 第1巻. 松原市, 1985.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I077658738-00
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大阪府教育委員会/[編]. 丹比柴籬宮跡発掘調査概要 : 松原市新堂所在 1. 大阪府教育委員会.
- キーワード
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- 松原市--遺跡・遺物
- 反正天皇
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000237248