レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年07月24日
- 登録日時
- 2017/07/27 17:04
- 更新日時
- 2017/11/14 15:36
- 管理番号
- 2017-03
- 質問
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未解決
保延5年に別当寺と定められた明照寺と、江戸期に松山城の南にあった橘寺は、現存するのか。無いのならいつまであったのか。
- 回答
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1.明照寺
【資料4】および【資料7】に、保延5年崇徳院宣により四別当寺設置の記述があるが、所在地に関する記述はなかった。
愛媛県史掲載の「明照寺文書」は愛媛県関係の史料ではない。日本古典籍総合目録の「明照寺文書」(著作ID4091490 【写】東大史料(滋賀明照寺蔵本写)のことではないか。
2.橘寺
【資料1】および【資料8】には橘寺の掲載がなく、いつごろ存在したかは不明である。
立花村については、【資料9】のp396に「慶安元年伊予国知行高郷村数帳(1648)の温泉郡の項に「立花村 小川有」とある。村名の由来は、当村の境域を古代以来の立花郷の中心部と考えたためと思われる。橘村とも書く」との記載もある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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『四国遍路記集』(伊予史談会/編 愛媛県教科図書 昭和56年)
- NDC
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- 寺院.僧職 (185)
- 日本史 (210)
- 参考資料
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- 【資料1】『明治初年寺院明細帳』6,7(圭室文雄/監修・解説 アルヒーフ 2013年 オンデマンド版)<当館請求記号K185-メイ-2013>貸出禁止
- 【資料2】『愛媛県神社誌』(愛媛県神社庁/編・発行 昭和49年)<当館請求記号K175-41>貸出禁止
- 【資料3】『温泉郡神社誌』(愛媛県神職会温泉郡支会 大正5年)<当館請求記号K175-2>貸出禁止
- 【資料4】『新編温泉郡誌』(松田卯太郎/著 臨川書店 昭和48年 ※松山石版印刷所・大正5年発行の復刻版)<当館請求記号K293.4-2>(p688 保延5年崇徳院宣により4別当寺設置の記述あり)
- 【資料5】『重信町誌』(重信町 昭和63年)<当館請求記号K293.4-13-88フク>
- 【資料6】『東温市発足記念重信町誌・川内町誌』続編(東温市 平成24年)<当館請求記号K293.4-トウ-2012>
- 【資料7】『重信町誌』(重信町 昭和50年)<当館請求記号K293.4-13>
- 【資料8】『寺院に関する調査』全6巻(愛媛県 1936年)<当館請求記号K185-4>複製版は貸出可
- 【資料9】『愛媛県の地名』(平凡社 1980年)<当館請求記号K290-54>貸出禁止
- キーワード
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- 明照寺(みょうしょうじ)
- 橘寺(たちばなでら)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 その他
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000219367