レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年10月22日
- 登録日時
- 2014/03/05 16:51
- 更新日時
- 2014/03/11 11:34
- 管理番号
- 中央-1-00714
- 質問
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解決
昔の木崎村役場について知りたい。
(1)木崎村役場の庁舎は、後に領家公民館として使用されたようだが、その位置や変遷について知りたい。
(2)現在の領家公民館の西側にある長覚院児童遊園の園内に、「天台宗長覚院」と表示された石柱が立っている。
この石柱の裏に「埼玉縣北足立郡木崎村役場」の文字が刻まれているが、この石柱は当時の木崎村役場の門柱だったのか。
長覚院の石柱となった経緯を知りたい。
- 回答
-
(1)領家公民館の前身は木崎公民館で、木崎公民館は昭和21年12月から昭和27年4月までには市役所木崎出張所(現在の浦和消防署木崎出張所)に併設されていた。
(2)調べつかず。
- 回答プロセス
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(1)について
・領家公民館や、近隣の小学校の記念誌などを見てみる。
『木崎小百年のあゆみ』 浦和市立木崎小学校開校百周年記念実行委員会/編 浦和市立木崎小学校 1974
p.71に、木崎小学校近辺の手描きの地図があり。
木崎小学校の南側に長覚院らしきお寺があり、その南の通りに面したところに役場があったらしい。
「役場→市出張所→木崎公民館」と書かれている。
『浦和市立大東公民館創立36周年記念誌』 浦和市立大東公民館創立記念事業実行委員会 1989
p.5 「大東公民館36年の歩み」の年表中
昭和21年12月 木崎公民館と称し、木崎小学校を事務所として発足
市役所木崎出張所(現東消防署木崎出張所の位置)2階に公民館移転
昭和29年2月 木崎公民館は、木崎公民館・領家公民館(西領家・立野)の2館にそれぞれ独立する と記載あり。
『社会教育要覧 1967』 浦和市教育委員会 1968
p.28~ 浦和市においては昭和21年11月中央公民館(市役所総務課)、(略)、12月谷田公(小学校)、木崎公(小学校)、…の7館が設置され発足した。(略)
昭和28年3月上木崎公(新築)が木崎公より分かれた。(略)
昭和29年2月木崎公が領家公(出張所)と改称し、(略)昭和37年領家公民館が老朽化したので、建物を解体し、その敷地に日本住宅公団の特定分譲施設として、鉄筋コンクリート造5階建の一階に消防署と公民館が建築された。と記載あり。
・『浦和市史 第4巻[1] 近代史料編』 浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1975
p.152に、明治41年に出した木崎村役場位置変更の文書あり。
明治41年9月16日に、大字領家字南箇1332番の1から北足立郡木崎村大字領家字立野422番の1に移転したことが書かれている。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- さいたま市浦和区
- 木崎公民館
- 領家公民館
- 木崎村役場
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000150251