レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2001/02/28
- 登録日時
- 2005/12/13 02:10
- 更新日時
- 2010/11/25 02:00
- 管理番号
- 新県図-00010
- 質問
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解決
北陸自動車道建設に関連して資料を探している。特に北陸道の旅の様子がわかる絵図を探している。以下のような資料を所蔵しているか。
1.古代北陸道をあらわした図版及びイラスト
2.境川沿いに上る山道(絵図等で昔の旅人の様子がわかるもの、または古い海沿いの写真。
3.親不知・子不知の海沿いの道(絵図等で昔の旅人の様子がわかるもの、または古い海沿いの写真)
4.ドイツの地質学者、フォッサマグナの命名者エドムント・ナウマンの肖像写真
5.昭和42年開通の新国道の写真
6.昭和27~32年に多発した土砂崩壊事故の関連写真
7.56豪雪時の写真
8.新潟県内で起こった雪崩の写真
9.新潟県における大正デモクラシー運動の関連写真
10.昭和恐慌時の出稼ぎに関する写真(女工の労働状景など)
11.塩の道(糸魚川街道)周辺の石仏、歩荷の関連写真と資料
12.奴奈川姫の像の写真
- 回答
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1.古代北陸道をあらわした図版及びイラスト
(1)『新潟県越後国西頸城郡実測図』(西頸城郡役所 当館請求記号:NM233-N83)
古代ではありませんが明治27当時の西頸城郡の道路、山等が鳥瞰的に描かれています。
(2)『三十年のあゆみ』(建設省北陸地方建設局長岡国道工事事務所 1989 N685-Ke51-1)
p3~15「国道8号線と北国街道」 絵図があります。
(3)『日本の街道 3 雪の国北陸』(集英社 1981 N290-59)
p20~29「水運と結ぶ深雪北陸の道(木下良)」「高田付近の街道(下通山川駅路之図)」
奴奈川姫像、親不知の天険(写真)もあります。
(4)『新潟県の100年 5 歴史編』(新潟日報事業社 1986 N206-34-5)
p14~15「北陸新道の開削」 明治中期の写真です。
(5)『江戸時代図誌 13 北陸道 二』(吉田光邦編 筑摩書房 1977 N290-H82)
p60~61「138 越中から越後へ 信州に至る北国街道(金沢江戸間下街道絵図)」
(6)『新潟県歴史の道調査報告書 9 三国街道2・北国街道3』(新潟県教育委員会 1996 N682-N725K-9)
2.境川沿いに上る山道(絵図等で昔の旅人の様子がわかるもの、または古い山道の写真。)
境川としては該当資料がみつかりませんが3.(9)に境を行く旅人の絵があります。強いていえば、こちらが該当するかもしれません。
3.親不知・子不知の海沿いの道(絵図等で昔の旅人の様子がわかるもの、または古い海沿いの写真)
(1)『親不知名勝絵葉書』(絵はがき ハ33.2-1)
(2)『越後名勝親不知絵葉書』(絵はがき ハ33.2-2)
(3)『図解にいがた歴史散歩糸魚川・西頚城』(新潟日報事業社出版部 1985 N200-26-11)
p103~106「天下の険親不知子不知」 安藤広重の『六十余州名所図会』の「越後親しらず」を紹介しています。
P107~111「続・天下の険親不知子不知」 十返舎一九の『六十余州名所図会』の「駒返しの険」を紹介しています。
(4)『親不知のみち 第ニ編』(建設省北陸地方建設局高田工事事務所 1998 N514-Ke51-2)
p0~1「親不知のみち」 浮世絵の図版があります。
(5)『写真集ふるさとの百年糸魚川・西頚城』(新潟日報事業社出版部 1982 N206-10-15)
p2~4,162~163,169~171 親不知、新道開削などの写真のほか「能生町古絵図」(明治中期)に北国街道が描かれています。
(6)『街道紀行 3 信越・北陸路』(毎日新聞社 1990 N291.4-Ma31-3)
p77~78 親不知の写真があります。
(7)『越のみち』(建設省北陸地方建設局長岡国道工事事務所 1989 N685-Ke51-2)
p16~17「危険いっぱいの海岸、川沿いル-ト・天険、親不知海岸(写真)」
p40「親不知付近の旧北陸道(写真)」
(8)『図説新潟県の街道』(郷土出版社 1994 N682-Z8)
p6~7「塩の道資料館、市振の海道の松、本陣前を走る加賀街道、親不知の険、小坂の道標、大野のウトウ」の図版があります。
(9)『十返舎十九越後紀行集 2 越中立山参詣紀行-『金草鞋』第一八編』(郷土出版社 1996 913.5-J53-2)
p82~87「糸魚川、青海・駒辺、宇多、外浪・親不知、市振、境」 絵入りです。
4.ドイツの地質学者、フォッサマグナの命名者エドムント・ナウマンの肖像写真
(1)『日本地質学の父エドモント・ナウマン』(フォッサマグナミュージアム 1996 289.3-N59)
3枚の写真があります。
5.昭和42年開通の新国道の写真
(1)『続・青海-新生への歩み-』(青海町 1973 N233-O62-2)
p243 「新国道」の写真。本文に「昭和42年12月19日完成、開通した」とあります。
P244~245,248,283 「歌外波中学校/ガケ崩れ」「馬返し洞門」「事故-新国道-」
6.昭和27~32年に多発した土砂崩壊事故の関連写真
当館で編集した「新潟県における主な地すべり災害年表」(『にいがた 23号』(新潟県立図書館 1987)等の資料からは、昭和27~32年の糸魚川、西頚城地域の土砂崩壊事故は確認できませんでした。
7.56豪雪時の写真
(1)『雪との闘い』(十日町市 1981 N451-18)
(2)『けんせつほくりく』(北陸建設弘済会 1994 N510-Ke51)
p386~402「56豪雪特集」
8.新潟県内で起こった雪崩の写真
(1)『59豪雪の記録』(中里村 1984 N451-50)
9.新潟県における大正デモクラシー運動の関連写真
(1)『図説新潟県の歴史』(小村弌編 河出書房新社 1998 N2*00-Z8-15)
p218~222「大正デモクラシーの波」 写真は小サイズです。
(2)『新潟県の100年 5 歴史編』
p84~85「木崎村の争議」
p112~113「争議相つぐ」
10.昭和恐慌時の出稼ぎに関する写真(女工の労働状景など)
(1)『図説新潟県の歴史』
p223~227「昭和恐慌と新潟県」
11.塩の道(糸魚川街道)周辺の石仏、歩荷の関連写真と資料
(1)『塩の道500景-千国街道を歩く-』(田中欣一、田中省三著 信濃毎日新聞社 1997 N291.5-Ta84)
写真集です。
(2)『塩の道を歩く』(田中欣一文 田北圭一写真 信濃毎日新聞社 1989 N291.5-Ta84)
写真集です。
12.奴奈川姫の像の写真
(1)『奴奈川姫-よみがえる古代史・その歴史とロマン-』(土田孝雄著 奴奈郷土文化研究会 1990 N2*33-Ts26)
ブロンズ像の写真があります。
(2)『図解にいがた歴史散歩糸魚川・西頚城』
p38~40「高志の奴奈川姫とロマンス」 奴奈川姫の銅像の写真があります。
P40~42「守護神黒姫山と奴奈川姫」 奴奈川社女神像の写真があります。
(3)『翡翠の精-西頚城歴史漫画本・奴奈川姫物語-』(まき・のむら著 奴奈川青年会議所 1997 N2*33-Ma34)
奴奈川をモデルとした漫画です。奴奈川姫像の写真もあります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 運輸.交通 (680 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 北陸自動車道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般利用者
- 登録番号
- 1000025711