レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年2月15日
- 登録日時
- 2019/03/07 14:37
- 更新日時
- 2019/07/25 12:21
- 管理番号
- 2018-52
- 質問
-
解決
出久根達郎著『漱石センセと私』p252に「久保より江は泉鏡花の小説のモデルになった」とあるが、鏡花のどの小説か。
- 回答
-
【資料1】より
久保 より江 明治17年~昭和16年(1884~1941)歌人。明治17年2月松山に生まれ、父は鉱山牧師で、東予の鉱山に勤めるようになってから、松山中の川の生家から二番町の上野家に預けられる。ちなみに愚陀仏庵の家主上野義方は祖父にあたり、明治28年より江の小学生時代には漱石が下宿しており、子規もころがり込んだりして爾来句席の末席に座り、松風会員とも顔なじみになった。同32年上京して、東京府立第二高等女学校卒業、福島県出身の医師久保猪之吉と結婚、同40年、夫の九州帝国大学赴任で福岡に住む。本格的に俳句を始めたのは大正7年ごろからで、「ホトトギス」の同人となる。長塚節・泉鏡花・柳原白蓮・倉田百三らと交わり、服部躬治について短歌も学ぶ。著書に『嫁ぬすみ』があり、愚陀仏庵時代の思い出を書いている。昭和16年5月11日死去、57歳。
【資料2】は久保より江の俳句と文章をまとめた本で、その中に「鏡花の女」という一節がある。より江が幼い時から愛読した鏡花の小説に出てくる女性たちについて書いた文章だが、より江自身が小説のモデルになった、という記述はなかった。
【資料3】は久保より江の随筆集だが、泉鏡花の小説に関する記述は見当たらなかった。
【資料4】に、泉鏡花の全集に掲載された全作品の解題があり、作品によってモデルがいること等が記載されているが、久保より江をモデルに書いた作品についての記述は見当たらなかった。
【資料5】は鏡花の本の挿絵や装丁を描いた小村雪岱の随筆で、その中に「泉鏡花先生のこと」という文章がある。雪岱はより江の夫・久保猪之吉に肖像画の依頼を受けていて、猪之吉のもとに通っていた時に鏡花夫妻が遊びに来たことが書かれている。より江については、「久保氏夫人よりえさんは、落合直文門下の閨秀歌人として知られた方で、娘時代から鏡花先生の愛読者であった関係から親交があったのです」とあるが、より江が鏡花の小説のモデルになったことについては記述は見当たらなかった。
他に、【資料6】~【資料9】を調査したが、久保より江に関する記載は見当たらなかった。久保より江が泉鏡花と親交があったことは確認できたが、鏡花の小説のモデルになったことについては不明。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本文学 (910)
- 参考資料
-
- 【資料1】『愛媛県史 人物』 愛媛県史編さん委員会/編 愛媛県 1989 <当館請求記号:K200-31>
- 【資料2】『より江句文集』 久保より江/著 京鹿子発行所 1928 <当館請求記号:キヨH68-Y6>
- 【資料3】『嫁ぬすみ』 久保より江/著 政教社 1925 <当館請求記号:914-15>
- 【資料4】『鏡花全集 別巻』 泉鏡花/著 岩波書店 1976 <当館請求記号:913.6-885 ベツ>
- 【資料5】『日本橋檜物町』 小村雪岱/著 平凡社 2006 <当館請求記号:914.6-コセ-2006>
- 【資料6】「久保より江夫人(愚陀仏庵の孫娘)」塩崎月穂/著 『子規会誌』 51号 松山子規会 1991
- 【資料7】「愚陀仏庵の孫娘 久保より江」平岡英/著 『子規会誌』 149号 松山子規会 2016
- 【資料8】『泉鏡花 人と文学』 眞有澄香/著 勉誠出版 2007年 <当館請求記号:910.268-イキ-2007>
- 【資料9】『泉鏡花伝 生涯と作品』 荒川法勝/著 昭和図書出版 1981 <当館請求記号:N0268-183>
- キーワード
-
- 久保より江
- 久保猪吉
- 泉鏡花
- 漱石センセと私
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000252710