レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年07月25日
- 登録日時
- 2014/07/25 10:51
- 更新日時
- 2015/01/31 18:40
- 管理番号
- 小山市-地域-28
- 質問
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解決
小山市下河原田で吉田某という有名な人がいる。村田英雄(歌手)や森繁久彌(俳優)も会いに来たとのことだが、その記事を見たい。
村田英雄には、この人のことを歌った「がんくつ王」という曲がある。
森繁久彌は、この人を描いた映画(東宝?)に出演している。
- 回答
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『下野新聞』(マイクロフィルム:明治11年6月創刊号から所蔵)
昭和38年3月16日(土)第2面:「がんくつ王」を歌に 50年間の執念にほれる 精魂込めた”第一声”贈る
写真:吉田老を背に激励する村田英雄
昭和38年3月18日(月)第3面:吉田老をねぎらう 宮市で村田英雄ショー
写真:村田英雄から花束を受ける吉田老
森繁久彌が吉田石松氏に会いに来たという記事は、当館の資料では見つかりませんでした。
- 回答プロセス
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吉田某…吉田石松氏のこと。昭和の岩窟王と言われている。この人物のことであると質問者には確認できた。
※「吉田岩窟王事件」:大正2年(1913年)8月13日愛知県愛知郡千種町(現在の名古屋市)で起きた強盗殺人事件の罪を着せられ、翌大正3年、主犯格として死刑判決とされた吉田石松氏は、獄中から無実を訴え続けた。仮出所した昭和10年以降は新聞記者らの協力を得、第二次世界大戦中は疎開先である栃木県からも無実を訴え続け、五度目の再審請求により昭和36年名古屋高裁で再審を開始した。昭和38年2月28日、無罪判決を得た。
○村田英雄について
無罪判決を得た直後の新聞記事を調べたところ、当館の資料では、『下野新聞』昭和38年3月16日(土)第2面に、村田英雄氏が吉田氏を訪ね、新曲「がんくつ王」第一声を聴かせたとの記事がある。
○森繁久彌について
インターネットで探索したところ、『川崎百合丘ロータリークラブ第1524回例会(平成22年2月9日(火))』の記事中に、「後にこの事件の映画化で、森繁久彌氏が詠んだ一首があります。『石も泣け 松も叫べど五十年 今この顔に 神宿る見ゆ』。」とある。しかし、映画のタイトルは不明。
上記記事を基に映画製作会社「東宝」広報部に問い合わせたところ、東宝作品または森繁久彌主演作品(他社含む)にそれらしい作品は見当たらないとの回答を得た。
前期の『川崎百合丘ロータリークラブ』の記事中で映画化に言及している弁護士・遠藤光男氏ご本人に問い合わせたところ、当時は映画化の話が盛り上がっていたが、採算か何かの不都合で結局実現には至らなかった旨の話を聞くことができた。しかし、森繁久彌氏が吉田氏に会いに行ったのは事実であるとのこと。吉田氏に会ったからこそ上記の短歌を詠むことができたという。それに同行した遠藤弁護士の話であるため信憑性は高い。事実であれば何らかの取材があったと思われるため、新聞記事の探索を行ったが、当館所蔵の『下野新聞』には該当する記事は見つからなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 司法.訴訟手続法 (327)
- 記録.手記.ルポルタージュ (916)
- 参考資料
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青山与平 著 , 青山, 与平, 1902-1987. 真実は生きている : 日本巌窟王五十年目の無実. ぎょうせい, 1985.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001774597-00 , ISBN 4324000263 (吉田石松氏が仮出所した昭和10年、著者を含む新聞記者らに出会ってから昭和38年2月に無罪判決を勝ち取るまでの記録。冒頭に「強盗殺人被告事件再審判決書」「吉田石松再審請求事件の経過」が掲載されている。芸能に関する記事は無い。) -
栃木県文化協会. 栃木の水路. 栃木県文化協会, 1979.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001443779-00 (p.286~288「昭和のがんくつ王」記事あり。巴波川(うずまがわ)東岸、下河原田地内にある「吉田石松翁の墓」(石碑)の碑面。碑陰の内容が記されている。) -
栃木県歴史人物事典編纂委員会 編. 栃木県歴史人物事典. 下野新聞社, 1995.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002517088-00 (p.636に「吉田石松」の記述あり。(昭和10年の)「仮出所後は妻キンさんの出身地、小山市下河原田で余生を送った。」と記されている。「吉田石松翁之碑」の白黒写真が掲載されている。) - 中地区わがまちげんき発掘事業委員会/編. 中地区ってこんなとこ!. 中地区わがまちげんき発掘事業委員会, 2014. (p.21に、「人権の神、ここに眠る」の記事あり。当時父親が中地区の村長をしていた森田総一氏の回想が記されている。)
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青山与平 著 , 青山, 与平, 1902-1987. 真実は生きている : 日本巌窟王五十年目の無実. ぎょうせい, 1985.
- キーワード
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- 日本岩窟王事件
- 吉田石松
- 照会先
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- 「東宝」広報部
「高須・高林・遠藤法律事務所」
- 「東宝」広報部
- 寄与者
- 備考
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<図書以外の参考資料>
◎吉田石松氏について、その他の参考資料
『下野新聞』(マイクロフィルム:明治11年6月創刊号から所蔵)
昭和38年 3月 1日(金)第1面:吉田老「無実」の悲願実る 名古屋高裁、再審公判で無罪判決
第2面:”やっぱり神さまはいた” 判決理由要旨 他
第3面:上告しない方がよい 法相、吉田老問題で答弁
昭和38年 3月 6日(水)第2面:吉田老の無罪が確定 上告する理由がない 他
昭和38年 4月 8日(月)第3面:全村あげて大喜び 美田 吉田老無罪確定を祝う
昭和38年 4月21日(日)第2面:吉田老に315万円 日本で最高の刑事補償 他
昭和38年10月20日(日)第2面:吉田翁ついに危篤
昭和38年12月 2日(月)第2面:”がんくつ王”永眠 半世紀を闘い抜いて 他
『第一法規法情報総合データベース』(平成25年度より契約利用)
判例ID:27915177 で収録あり。名古屋高等裁判所 昭和34年(お)第4号
著名事件名:日本岩窟王事件再審無罪判決
◎芸能関連のその他の参考資料として
『朝日新聞縮刷版』(昭和36年1月~所蔵 欠号あり)
昭和38年5月16日(木)(夕刊)第5面:劇になる「吉田がんくつ王」 主役に花柳喜章 病床の翁は大よろこび
昭和38年5月29日(水)第7面:吉田石松さんを素材に 日本テレビ 人権を守る「地方記者」
『下野新聞』(マイクロフィルム:明治11年6月創刊号から所蔵)
昭和38年8月15日(木)第7面:花柳喜章の役者の欲 吉田老人に体当たり ビワの木会の五十年目の太陽
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000156773