レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年07月08日
- 登録日時
- 2014/01/22 12:43
- 更新日時
- 2016/12/08 14:37
- 管理番号
- 2013-17
- 質問
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未解決
内藤鳴雪が森有礼文部大臣の刺殺について書いた報告が見たい。
- 回答
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『鳴雪自叙伝』の書きぶりから、文部省の内部文書である可能性もあるので、国立公文書館デジタルアーカイブ<http://www.digital.archives.go.jp/>において、「森有礼」、「森文部大臣」、「内藤素行」等の語で検索し、以下2文書を見つけたが、これらが内藤鳴雪の手によるものかは不明。また、他に終焉の記録の類は発見できず。
(1)「文部大臣子爵森有礼兇徒ノ為メニ創傷ヲ受ケ薨去セラル」(明治22年02月14日)
(2)「故文部大臣子爵森有礼ヘ正二位ヲ贈リ并テ金幣ヲ賜フ」(明治22年02月14日)
- 回答プロセス
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当館で所蔵する内藤鳴雪関連の資料はいずれも氏の俳句に関する内容のもので、官吏時代のことに関しては『鳴雪自叙伝』がむしろ詳しいため、終焉の記録については不明。
【資料1】(文部次官・辻新次の伝記)には、内藤鳴雪(素行)のことについてはふれておらず、記録の指示については不明。
【資料2】(森有礼の伝記)p160において、貴重である・権威があると評されていた【資料3】【資料4】を、近代デジタルライブラリー(→国立国会図書館デジタルコレクション)で参照したが、記録の掲載はなし。
- 事前調査事項
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『鳴雪自叙伝』(内藤鳴雪/著 岩波書店)p297には、”而して森氏その夜遂に亡くなられたがこの終焉の記録等も、辻次官の命で私が筆を執った”、森文部大臣死去の際には、文部省往復課長をしていたとある。
『森有礼全集 第3巻』(文泉堂 1988.11)には、p437~伝記資料二(遭難関係記録)があり、刺殺後の報道記録や追悼記録が収録されている。しかし、その中に内藤鳴雪の名前は確認できず。P539~541に辻新次(次官)の弔辞は掲載されている。(当時、官吏である内藤鳴雪の書いた文書に鳴雪(素行)の名前が表にでているかは不確定)
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 行政 (317 9版)
- 詩歌 (911 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『男爵辻新次翁』(安倍季雄/編輯 仁寿生命保険 1940年)<当館請求記号289.1/ツ1>
- 【資料2】『森有禮 (日本教育先哲叢書第16巻)』(大久保利謙/著 文教書院 1944年)<当館請求記号ムラ289.1/モア>
- 【資料3】『森有礼』(海門山人/著 民友社 明治30年6月) (<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/782082>(国立国会図書館デジタルコレクション))
- 【資料4】『森先生伝』(木村匡/編 金港堂書籍 1899年) (<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991656>(国立国会図書館デジタルコレクション))
- キーワード
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- 内藤鳴雪(ないとう めいせつ)
- 内藤素行(ないとう もとゆき)
- 森有礼(もり ありのり)
- 暗殺
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000143799