諸説があります。検証を試みる資料や、地元の伝承等を掲載する資料が確認できました。
(1)栃木県の地域資料
・『佐野源左衛門常世』(根岸省三/編 高崎市教育委員会 1957)
※当館で所蔵する資料は原本ではなく、原本を複製・製本した資料です。
佐野源左衛門常世が架空の人物か実在の人物かについて、各方面の文献や口碑を調査し考察した資料です。巻末の「年代表」「其他主なる記録」では、各資料・史料類からの関連記述がまとめられています。
群馬県で発行された資料ですが、「田原族譜」「唐澤山神社創建誌」等、本県の史料も散見されます。
・『田原族譜 前編』(山士家佐伝/編 東明会 ※明治16年9月発行の複製)
前出の『佐野源左衛門常世』内で「田原族譜から見た常世」(p.47-49)の項があったことから、確認しました。 p.32 左ページ「佐野長島市橋三 田子赤石金原等系」の系図の中に小次郎源左衛門尉丹後守常春の子として佐野源左衛門尉常世の名前があります。
・『忠孝美談 佐野源左衛門常世伝』(飯島光之丞/編、発行 1937)
※「下野史談 別冊」として合冊製本して管理しています。(資料コード:1102173547)
読みもの風の伝記ですが、「十、梅秀山願成寺の位置と沿革」の項があり、一族の菩提寺について記述がありました。(p.63-68)また、口絵写真には「佐野源左衛門尉常世一族の墓地」、「葛生町の梅秀山願成寺本堂」、「正雲寺荘の源左衛門屋敷跡」が掲載されています。
ただし、巻頭の序には、「館の跡は栃木県安蘇郡常盤村に、一族の墳墓は葛生町に歴然と存在すと雖も、貴重なる史料は菩提寺願成寺數次の炎燒に惜しくも散逸し事蹟の判斷極めて困難を生ず」とあります。
・『安蘇郡誌』(江森泰吉/編 安蘇商工名鑑 全国縮類共進会協賛会 1909)
p.89-94「佐野源左衛門屋敷趾」の項がありました。
・『下野の昔噺 第2集』(小林晨悟/著 栃の実社 1954)
p.34-42「萬葉の佐野」の項の冒頭で、謡曲「鉢の木」に触れています。源右衛門の墓と宅址について述べ、「實在の人であつたのだろうが、謡曲の方は假空の物語であるという。…諸國行脚した北條時頼が、難波の老婆の家に泊めてもらい、…(中略)…零落したその家柄を、元通りに取立てゝやつて、正しい政治を示したという實話を作り替えたのであるという。」とありました。
このほか、謡曲の中の和歌の描写からも佐野との関わりを考察しています。
・『日本の民話 32 栃木の民話 第1集 新版』(未來社 2016)
p.255-258「鉢の木」の中に「謡曲では、上野の国ということになっていますが、安蘇郡葛生町大字豊代には、常世の館のあとと称するものもあって、お国じまんとなっています。」とありました。
(2)その他の資料
・『新選大人名辞典 1』(下中弥三郎/編 平凡社 1937)
p.168「サノゲンザエモン 佐野源左衛門」の項があります。「鎌倉時代の武人。『名跡志』には恆世とあり、源左衛門と稱す。上野國群馬郡佐野を領す。…(略)…或はこの事蹟は假作なりともいふ。『南畝叢書』東海談に「佐野源左衛門常世といふ人も寓言なるを知る人なし」とある。」とあります。
・『日本民族伝説全集 関東篇 第2巻』(藤沢衛彦/著 河出書房 1955)
p.267-269「鉢の木」の解説に、「佐野源左衛門常世という人は、世に伝える『佐野系圖』には見えません。『謡曲拾葉抄』という書は、「三郎政常の子なり」としていますが、拠りどころ不明です。謡曲『鉢の木』の内容が、いつか人口に膾炙して、郷土伝承の形式をとっており、…(中略)…まことは、『増鏡』に見えた摂津国難波浦に行き暮れた遍歴の最明寺入道が、軒かたぶき壁くずれたいぶせき賤ヵ屋に宿をもとめ、…(中略)…あわれに思い、鎌倉に帰ると、その家の取立てを命じて、旧邑に復せしめるという“草枕”の条に、『北條九代記』、『太平記』に見えた筋を加えて、佐野の事に取なし作ったものが、このいわゆる作られたる鉢の木伝説の起源のように考えられます。」とありました。