レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/03/09
- 登録日時
- 2016/03/31 00:30
- 更新日時
- 2016/11/05 16:00
- 管理番号
- 0000001365
- 質問
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解決
俳句誌「あらうみ」同人が、昭和19年5月2日に東京(上野)に大挙して虚子に会いに行ったらしい。
「杉原竹女」の名前がそのメンバーの中にあるか否か、また昭和19年5月2日の句会のメンバーを調べたい。
- 回答
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・昭和19年の「あらうみ」は所蔵がありませんでした。
・『北國新聞縮刷版 昭和51年3月号』の「わが半生記9 杉原竹女(雑誌「あらうみ」主宰・金沢市在住)」に「18年4月、あらうみ百号記念大会が兼六園で開催され5月には東京の上野公園で小松月尚先生以下15人が、そろって上京して高浜虚子、星野立子親子の両先生をはじめ、ホトトギス同人の方々を招待して句会を開くことができたのです。同人の浅野白山師(高松町出身)のあっせんでした。詩校も京都よりはせ参じ、行を共にしたのでした。(中略)11月には虚子、立子両先生を金沢にお迎えして、竹女居にて句会の翌日、山中温泉へご案内。その夜のよしの屋の宴の場面が、虚子の小説『虹』で有名です」とありました。句会は、昭和19年ではなく昭和18年でした。
・「あらうみ」(10巻3号)に「あらうみ百号記念大会」の告知があり、うち「東京記念句会 日時 5月2日(日) 午後1時より。会場未定 虚子先生及ホトトギス在京同人諸先生出席。月尚先生以下編集人一同は1日夜東上の予定。参加希望者は至急投稿所宛申込む事。詳細通知す。」とありましたが、メンバーの名前は記載ありませんでした。
・「あらうみ」(10巻4号)のp31「編集便 月右」に「(百号)大会に引続き東京の記念会も亦有意義に催すことができました。虚子先生始め風生椎花・青邨・立子、漾人・奈王・ゝ石・東子房たけし・濱子・みつ子の諸先生それに大年英美子以下東京あらうみ会の諸氏当方より月尚先生以下積翠・柏文・紅柳・竹女・鴉耳・蒙耳・杉雪・詩校・そと吉・三枝・月左・月右等40有名、上野韻松亭に楽しき1日を送りました。その夜は白山先生招宴翌日はたかし庵訪問と俳諧修行を重ねました。其記事は紙面の都合にて雷鳥第1号に掲載致したいと存じてをります」とありました。
12p「百号記念俳句大会出席者」より、その際のメンバーは小松月尚、大森積翠・田中柏文・島津紅柳・杉原竹女・戸水鴉耳・布蒙耳・中宮杉雪・杉原詩校・山口そと吉・今村月左・豊原月右であるとわかります。
なお「三枝」は出席者に名前がなかったのですが、「小松三社」または「舘三樹」の誤植の可能性も考えられ、真相不明です。
・『北國新聞縮刷版 昭和51年3月号』では15名ですが、「あらうみ」(10巻4号)で名前が挙がっているのが13名であり、「三枝」の俳号の件とともに「雷鳥第1号」で確認したかったのですが、当館に所蔵ありません。「石川県内横断検索」(http://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/dog/crs/)、「国立国会図書館サーチ」(http://iss.ndl.go.jp/)、「Cinii books」(http://ci.nii.ac.jp/books/)で検索しましたが、やはり所蔵館が見つかりませんでした。文献入手については、最寄の図書館で調査、取り寄せをご依頼ください。(※平成28年3月9日確認)
・『虹』を確認しましたが、杉原竹女に関する記載はありませんでした。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本文学 (91 9版)
- 参考資料
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- 1 北國新聞縮刷版 昭和51年3月号 北國新聞社 1976.04 K071/2/76-3 409p
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2 あらうみ 10巻3号(壱百号記念号) あらうみ発行所 1943.4 913 4p -
3 あらうみ 10巻4号(終刊号) あらうみ発行所 1943.8 913 31,12p -
4 虹 高浜/虚子?著 苦楽社 1947 913.6/21365
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000190462