レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年03月29日
- 登録日時
- 2019/03/15 16:35
- 更新日時
- 2019/07/03 11:46
- 管理番号
- 埼熊-2018-116
- 質問
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未解決
明治期の俳諧の宗匠、京都の「花の本(はなのもと)」と大阪の「百果園(ひゃっかえん)」について知りたい。また、両者とも明治30年代に埼玉県の大里地区に立ち寄ったことがあると聞いたが、どのような関わりがあったかを知りたい。
- 回答
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京都の「花の本」について、以下の資料を紹介した。大阪の「百果園」についての資料及び両者の大里地区との関わりについて書かれた資料は確認できなかった。
『埼玉俳諧人名辞典』(内野勝裕編著 さきたま出版会 2003)
p111「聴秋 ちょうしゅう 上田肇」
「京都の人。別号不識庵、花の本十一世。『俳諧鴨東新誌』を主催し埼玉俳人の投句も多かった。また、埼玉関係の俳書にも、その名が散見する」とあり。(注)「俳諧鴨東新誌」(秋田県立図書館所蔵)
『二条家俳諧 資料と研究 研究叢書 243』(富田志津子著 和泉書院 1999)
p115-117「二条家俳諧と花の本」に花の本についての記述あり。
p122-123「二条家俳諧宗匠一覧表」に宗匠名(姓)、生没年、免許の年掲載あり。
明治以降では、聴秋(上田):嘉永5~昭和7、明治23免許、秋邨(会沢):明治8~昭和16、昭和7以前免許(後述の「二条家俳諧年表」では明治32年の位置(p214)に「秋邨宗匠免許」とあり)、以上2名掲載あり。
p141-142「研究史」に、「近代の花の本」(大阪俳文学研究会「会報」30、平成8)など関係文献紹介あり。
p198-203「花の本歴代」あり。
p205-215「二条家俳諧年表」あり。関連事項の箇所に、明治23年11月29日「聴秋、花の本免許」、明治32年(月日不明)「秋邨、宗匠免許」の記述あり。
『俳句辞典 近代』(松井利彦編 桜楓社 1977)
p473「花の本」と上田聴秋についての記述あり。
『俳諧人名辞典』(高木蒼梧著 巌南堂書店 1987)
p567 「聴秋」の項あり。
『日本人名大事典 1』(平凡社 1937)
p416「ウエダチョーシュー(上田聴秋)」の項あり。
『日本近代文学大事典 1』(講談社 1977)
p189「上田聴秋」の項あり。
『俳句史大要 歴史と評伝と評釈』(橋間石著 赤松勝編 沖積舎 2011)
p357-359 花の本聴秋についての記述あり。
- 回答プロセス
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1 参考図書を調べる。
『俳諧大辞典』(伊地知鉄男[ほか]編 明治書院 1957)
p642「花の下」「連歌・俳諧の宗匠の称号。「花の本」とも書く。称号についての説明あり。
2 俳諧関係の資料を確認する
『明治俳諧史話 近代作家研究叢書 45』(勝峯晋風著 山下一海解説 日本図書センター 1984)
p51-53「統一的京都、雑居的大阪」の項あり。百果園について記述なし。
3 《国会図書館サーチ》(http://iss.ndl.go.jp/ 国会図書館)を〈百果園 & 果樵〉で検索する。
「家つと集」(百果園果樵編 〔1883序〕)(秋田県立図書館所蔵)
注記に「〔家津登集〕」とあり。
4 《国会図書館デジタルコレクション》(http://dl.ndl.go.jp/ 国会図書館)を〈上田聴秋〉〈花の本聴秋〉〈不識庵聴秋〉で検索する。
該当したもののうち、明治36(1903)年以降に出版されたものを確認するが、大里地区との関連記述なし。
ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2017年3月29日。
- 事前調査事項
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深谷市の寿楽院に奉納された句会(明治36年)の扁額に、撰者5名のうちのふたりは、「京都 花本聴秋、大阪 百果園果樵」と記されいた。他の撰者は埼玉、東京の俳句結社関係者である。質問者によると、この扁額は刊行物への掲載はないと思われ、この寺には、蕉風に係る句碑もあり、俳諧が盛んであったと思うとのことである。
- NDC
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- 詩歌 (911 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 俳諧-歴史-明治時代
- 上田 聴秋(ウエダ チョウシュウ)
- 百果園
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000253100