レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 千葉県立中央図書館 (2120001) | 管理番号 (Control number) | 千県中千葉-2019-04 | ||||||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2018年07月29日 | 登録日時 (Registration date) | 2019年08月21日 15時41分 | 更新日時 (Last update) | 2019年08月21日 16時01分 | ||||||||
質問 (Question) | 江戸時代後期、品川区泊船寺にいた杜格斉山奴は下総出身なので、何か山奴に関する資料はないか。 | ||||||||||||
回答 (Answer) | 当館所蔵の山奴の著書、山奴について記載のあった所蔵資料(主に千葉県関係資料)を紹介します。 1 著書 【資料1】『田毎の日』(山奴著 白堂桃雨 松旭舎静江校合 1798(寛政10)序) 1月から12月まで月ごとに俳句を集めたもの。三世太白堂桃隣、採荼庵梅人の序文あり。跋文は如是庵徳布。奥付に北総油田山奴著、太白堂蔵とあり。 2 評伝 (1)市町村史 【資料2】『小見川の歴史』(小見川町教育振興協議会 1970) p313 年表 江戸時代の18世紀末のところに「油田の俳人、北見山奴」とあり。 【資料3】『小見川町史 通史編』(小見川町 1991) p1063-1066 5 俳句 p1063 「油田の山奴の句、 畑打ちや土籠のむしる敷境 手まりつく畑のほこりや花大根」 【資料4】『神里のあゆみ・西谷物語』(〔宮崎 清徳/著〕 〔出版者不明〕 〔出版地不明〕 〔1957〕) p32 北見山奴 「油田の俳人で、徳川時代、江戸へ出て修行し、その句は高く評された。」 (2)俳諧史 【資料5】『関東俳壇史叢稿 庶民文芸のネットワーク 近世文学研究叢書 19』(加藤定彦著 若草書房 2013)p171-234 矢さしが浦の俳壇 p198-203 雪門の進出 この中で、雪中庵蓼太が下総俳壇に進出する際に、門人として山奴の名前が随所に出てきます。次はその一部です。 p199「蓼太の下総地方への進出は遅く、偶然にも鳥酔・涼袋が来遊した宝暦9年(1759)秋のことであった。竹内(たけのうち)(現香取市竹之内)の眠江に誘われ、蓼太は門人求光・山(さん)奴(ぬ)とともに水郷潮来の月を賞し、香取・鹿島・息栖(いきす)の三社に詣でた。」 p200「そして、晩春の頃、風斎・都雁・山奴を伴って再び鹿島に遊び、躑躅の花に興じた。山奴に編ましめた『つつじ行脚』(中村俊定文庫蔵)はこの折の小集で、下総俳人の入集は20名と倍増、(中略)編者の山奴は香取郡大寺(現、匝瑳市)の住で、(後略)。」 *『つつじ行脚』は『享保宝暦俳諧集』(雲英末雄編 早稲田大学蔵資料影印叢書刊行委員会 1995)に所収されています。国立国会図書館で所蔵しています。 【資料6】『蕪村・一茶その周辺』(大礒義雄著 八木書店 1998)p92-99 蓼太の鹿島詣―『笘の宿』― p95-96「『蓼太句集』には「しもつふさ徳聖寺の庭上に七色のやどりぎあり」とする。 鹿島船中 十四夜より空よく晴れて望の日影障子にかヽやき、まづ月見る心地せらる。山奴といえる友も見えて、小見川より鹿島へ舟をわたす。銚子の沖、霞ヶ浦、猶名ある山々入江に影を洗ひ、何々の魚とるなど目馴れぬものから あかあかと日もうく鮭の網代哉 求光 この前書は最初からの前書とともに蓼太の書いたものである。」 p98「以下求光・山奴・唯我の五吟歌仙一巻があるが、省略しよう。これで蓼太の鹿島詣の記は終わる。 『苫の宿』 紀行撰集。半一。雪外舎眠江編。自序。春燈房風斎跋。宝暦九年菊月(九月)奥。二十二丁。蓼太・眠江・求光・山奴の鹿島月見の紀行と発句集。地の文は蓼太筆とみられ、句は蓼太十二、眠江五、求光九、山奴二章。ほかに右の連中に唯我を加えた五吟歌仙一巻、(後略)」 【資料7】『関東俳諧叢書 第14巻 常総編』(加藤定彦編 関東俳諧叢書刊行会 1998)に『苫の宿』が所収(p117-144)されており、書誌・解題(p120)がある。 【資料8】『蓼太研究 俳書から見た蓼太の足跡』(中村俊定著 関西大学 1951 『国文学』3号(1951.2)の抜刷)p20 「(前略)ついで十年春には池魚の災を蒙り、暫く南総の吏仙が別荘に宿していた。晩春近い一日風斎・都雁の二子を伴ひ鹿島山の躑躅見に出かけ、下総大寺の山奴をして『つつじ行脚』(一冊)を撰ばせしめ、(後略)」 | ||||||||||||
回答プロセス (Answering process) | 1 「山奴」「杜格斎」で所蔵検索し【資料1】を得る。 2 「菜の花ライブラリー」千葉県関係データベースで調査し、【資料2】~【資料4】を得る。 3 千葉県関係の俳句関係資料にあたり【資料5】を得る。 次の資料には掲載がなかった。 『房総の俳句』(天津有明編著 房総の俳句を語る会 1977) 『千葉県故俳人名鑑』(雉子島雨城著 [雉子島雨城] 1978) 『小林一茶と房総の俳人たち』(杉谷徳蔵著 暁印書館 1981) 4 google booksで「山奴」と検索し【資料6】を得、同書の参考文献から【資料7】を得る。 5 千葉県関係資料で「蓼太」と検索して、【資料8】を得る。 | ||||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | 『品川区史 通史編 上巻』(東京都品川区 1973)p1076 「二世杜格斉山奴は下総国(千葉県)の出身で、四世太白堂菜石に師事した俳人である。後に出家して白牛と称し、文政3年(1820)に没している。」 『俳諧人物便覧』(三浦若海著 ゆまに書房 1999)p290 「山奴 杜格斎二世 四世桃隣門 ○三世 桃隣門 江戸北見氏 下総油田屋 品川鮫津 泊船寺ニ墓アリ 文政三年七月廿六日没六十七才 又号 ○月庵」 | ||||||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | |||||||||||||
寄与者 (Contributor) | |||||||||||||
備考 (Notes) | |||||||||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | ||||||||
登録番号 (Registration number) | 1000260358 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 未解決 |