レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年06月21日
- 登録日時
- 2010/06/21 18:57
- 更新日時
- 2010/06/21 18:57
- 管理番号
- 広女院-レファ-2010033
- 質問
-
解決
『捜神記』の中の「冥土の父母」(16)に出てくる仙人は死んでいるのか、生きているのか。
- 回答
-
『列仙伝・神仙伝』の「劉根」の項に詳細あり仙人になったとあるが、生死については書かれていない。
- 回答プロセス
-
『捜神記』の中の「冥土の父母」に“劉根”という名称が出てくるので、『列仙伝・神仙伝』の「劉根」p.185を見たところ、「鶏頭山に入って仙人になった」とあるが、長生きはしたようだが、生死については書かれていない。
作中で劉根が韓衆におしえられたのは、三戸を退ける薬の方法であり、仙人になるための仙薬ではないようである。
また、p.190の劉根が語る韓衆の言葉に「仙道には天に昇り雲を踏むものもあれば、五獄を遊行するのもある。服食して不死となるのもあれば、屍解して仙となるもある。」とあり、生きたまま仙人になる場合と、一度死んでから仙人になる場合があるようだ。(同書p.171に屍解は「屍体を遺して魂が昇仙すること。もしくは屍体もろとも棺中より消えて仙人になること」と説明があり、この場合人間の体としては死んでいるようである。)
劉根は韓衆に長生きの方法を教わっており、生きたまま修行を重ねたと考えられる。
また、韓衆は「十二年もすれば、仙薬を服してもよかろう」(p.190)といっており、修行を重ねた後仙薬を飲んで仙人になったとすれば、先にも述べたように「服食して不死とな」ったとも考えられるため、その場合死んでいないことになる。
そしてまた韓衆は同書p.190~191で「およそ仙道を修めるには、要は服薬にある。薬にも上下あり、仙にも数段階ある」〈…中略…〉「草木の諸薬で、よく百病を治し、精を補い若さを保ち、五穀を断ち精気を益すことができる。ただし人を不死ならしめることはできぬ。上なるは数百歳は生きられ、下なるも与えられたる天寿を保つことはできるが、いつまでもそれを頼みにはしてはおれないものじゃ」という。
もし劉根がこの場合にあてはまり、屍解ののち仙人となったのであれば人間としては一度死んでいることになる。だがこの章の最後は「劉根はのちに鶏頭山に入って仙人になった。」とあるため、屍解によって仙となったとは考えにくいかもしれない。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 中世思想.近代思想 (125)
- 小説.物語 (923)
- 参考資料
-
- 『捜神記』(干宝著 竹田晃訳 、平凡社、1964.1)
- 『列仙伝・神仙伝』(劉向 葛洪共著 沢田瑞穂訳、平凡社、1993.9)
- 『抱朴子・列仙伝』(鑑賞中国の古典 第9巻)(尾崎正治, 平木康平, 大形徹著、角川書店,1988.7)
- 『抱朴子・列仙伝・神仙伝・山海経』(中国古典文学大系 第8巻)([葛洪著]・本田済訳、劉向著・沢田瑞穂訳、[葛洪著]・沢田瑞穂訳、高馬三良訳)
- キーワード
-
- 捜神記
- 列仙伝
- 神仙伝
- 劉根
- 仙人
- 屍解
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000068297