レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年01月06日
- 登録日時
- 2016/10/08 16:48
- 更新日時
- 2017/01/05 13:43
- 管理番号
- 埼久-2016-069
- 質問
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未解決
『明るい方へ 父・太宰治と母・太田静子』(太田治子著 朝日新聞出版 2009)の文章中に「中国間」という語が頻出する。この語の読みが知りたい。
- 回答
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「中国間」の読みが記載されている資料は見当たらなかった。
参考までに、太田治子の父、太宰治の著書で用いられる語「支那間」の読み方が記載されている資料を紹介した。
『斜陽』(太宰治著 新潮社 1985)
p18 「(前略)伊豆のこの、ちょっと支那ふうの山荘に引っ越して来たのは(後略)」
p24 「十畳間と六畳間と、それから支那式の応接間と(中略)それだけの間数だけれども(後略)」
p28 「支那間で本を読んだり」とあり。いずれも振り仮名はなし。
『日本国語大辞典 第6巻(さこう-しゆんひ)』(小学館 2001)
p912 「しな-ま【支那間】」あり、文例を「斜陽」の「私が御相手に出て、シナ間でお茶を差し上げ」という文から引いている。
- 回答プロセス
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1 各種建築用語辞典を調査するが記載なし。
2 「中国間」が実在したかを調査する。
文中に「下曽我」とあるため、《Google》(http://www.google.co.jp/ Google)を〈太田治子 & 下曽我〉で検索すると、個人サイト等に「中国間」のある建物は、太宰治が「斜陽」のモデルとした小田原の別荘、雄山荘であるとの記載あり。
3 自館目録を〈斜陽 or 雄山荘〉で検索する。以下の資料は質問に関する記述なし。
『『斜陽』の家・雄山荘物語 別荘を彩った太宰治、高浜虚子たち』(林和代著 東京新聞出版局 1994)
各部屋の名称はないらしく、この資料では「書院造りの富士の間」「網代張りの炉の間」「書院の間」(p6)、「真ん中の間」「囲炉裏の間」「炉の間」「中国風の南の間」(p75-77)「支那室」など、同じ部屋を指すにも色々な言い方をしている。読み仮名なし。
『斜陽日記』(太田静子著 小学館 1998)
p26 加来氏のD山荘の間取りについて、「十畳間と六畳間と、それから支那間と(中略)屋根裏のスペイン風の寝室。みんなでこれだけあった」と記載あり。読み仮名なし。
4 太田治子の他の著作を調査する。以下の資料は質問に関する記述なし。
『母の万年筆』(朝日新聞社 1984)
『言いだしかねて 太田治子対談集』(太田治子著 主婦の友社 1982)
『心映えの記』(太田治子著 中央公論社 1985)
『手記』(太田治子著 新潮社 1967)
ウェブサイトの最終アクセス日は2016年1月6日。
- 事前調査事項
- NDC
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- 小説.物語 (913 9版)
- 辞典 (813 9版)
- 参考資料
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- 『日本国語大辞典 第6巻(さこう-しゆんひ)』(小学館 2001) , ISBN 9784095210063
- キーワード
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- 太田 治子(オオタ ハルコ)
- 中国間
- 太宰 治(ダザイ オサム)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000197979