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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
埼玉県立久喜図書館 (2110009)管理番号
(Control number)
埼浦-2012-048
事例作成日
(Creation date)
2012年02月16日登録日時
(Registration date)
2012年09月11日 16時48分更新日時
(Last update)
2012年11月29日 11時26分
質問
(Question)
埼玉県域で映画が初めて上映されたのは、「いつ、どこで」だったのか知りたい。
回答
(Answer)
質問の「映画」をサイレント映画(活動写真)と解釈し、資料を調査したが、埼玉県下での映画の初上映について、記述がある資料は見つからなかった。関連記述は回答プロセスを参照のこと。
トーキー映画は、昭和5年2月に熊谷で初上映したようだが、機器の不調で最後まで上映できず、最後まで上映できたのは昭和7年1月に浦和においてのようである。
回答プロセス
(Answering process)
『新編埼玉県史 資料編 25(近代・現代7)教育・文化』(埼玉県 1984)
p1017「本県初のトーキー封切り 昭和5年2月」(「東京日日新聞 埼玉版」昭和5年2月10日)の記事あり。
それによると、2月8日熊谷町電気館で上映されたよう。
「民政党演説会の呼び物トーキーは、八日熊谷町電気館で開催の鏑木候補の演説会で県下はじめての封切り~」とあり。機器の不調等により、途中で打ち切られたとのこと。

『新編埼玉県史 通史編 5 近代』(埼玉県 1988)
p1071近代演劇・映画の項で「大宮では明治30(1877)年ごろから40年ごろまで末吉座が、そして、その跡地に明治40年ごろから吾妻座が、それぞれ常設劇場として建ち、芝居、活動写真(映画)などが上演された。」とあるものの、埼玉県下における映画の初上映については言及していない。

旧浦和市に関する調査。
『浦和市史 4 近代史料編2』(浦和市 1979)
p475「埼玉県初のトーキー上映の記事」
「地方の人気を浚った本社のトーキー 昨日浦和で二回開催」(「東京日日新聞」昭和7年1月23日)
「本県最初のトーキーだけに地方の人気をさらって」とあり。
『街にキネマがあったころ 第33回特別展』(さいたま市立博物館 2009)
p15「共楽座(浦和劇場)のあゆみ」
「明治43年(1910)8月6日 活動写真を初めて上映する」とあり。
『共楽座(浦和劇場)の設立期について-明治末期の浦和の映画演劇環境考-』(山嵜廣[1999])
p45-47「共楽座以前の浦和の演芸興行」
明治40年代において8月23日、24日の玉蔵院の大施餓鬼や12月12,13日の調神社の酉の市に必ず行われていた小屋掛けの興行に、活動写真が加わり、興行界に変化をもたらすようになったとあり、新聞記事が紹介されている。
「境内には露店及び興行物を以て半ば地を覆い、活動写真を第一位として猿と鼠、蛇と鳥、飾附人形等種々雑多の観せ物~」(「埼玉新報」明治42年8月25日)
「浦和町の酉の市  ~見世物のうちには女剣舞活動写真が大入りを取り其他は差程でもなかりし~」(「国民新聞」明治42年12月14日)
「浦和町酉の市 ~活動写真其他の興行物等何れも相応に客を呼び~」
p50松澤館というところで行われた活動写真について報じる「埼玉新報」明治43年4月12日の記事あり。浦和での初上映かどうかはわからず。
明治43年4月12日から開会する活動写真が降雨の為め今日から開会するとの「埼玉新報」明治43年4月13日の記事あり。
『近代浦和文化小史 浦和劇場(共楽座)の歴史 復刻合本』(山嵜廣 2000)
p11 共楽座初めての活動写真
「落成後まもなくの8月6日には、すでに映画が上映されている。出し物は、義太夫鳴物入りの「子煩悩」「太功記十段目」などの芝居物映画や梅ヶ谷などの大角力もの、飛行機や火事の実写もの等であった。また、フランス製の「月世界旅行」もこの時上映されている。浦和における本格的な活動写真の始まりであったと思われる。」とあり。同資料によると、共楽座の落成は明治43年7月25日。
p18「共楽座開場期の県内の劇場」
明治43・44年頃にあった埼玉県内の劇場名あり。初上映の時期についてはなし。
(劇場名)
本庄 宮森座(明治44年1月17日より丸山座となり、改装す)
秩父郡大宮町(現秩父市) 秩父座と大宮座
熊谷 熊盛座(ゆうせいざ)と梅盛座(ばいせいざ)
岩槻 友楽座
川越 鶴川座(つるかわざ)
大宮(旧中山道大宮町) 吾妻座(あずまざ)
秩父郡小鹿野 愛宕座(あたござ)(明治44年2月21日落成開場)
『近代浦和文化小史 浦和劇場(共楽座)の歴史 復刻合本』(山嵜廣 2000)
p11 共楽座初めての活動写真
「落成後まもなくの8月6日には、すでに映画が上映されている。」とあり。(落成は明治43年)

旧大宮市に関する調査
『大宮市史 4 近代編』(大宮市 1982)
p1090-「娯楽の変遷」
p1091「吾妻座は末吉座の取壊された(明治40年頃)跡付近に、その後建てられたもので~明治の終わりから大正の初めにかけて大宮町の唯一の常設劇場で、当時の新聞によると芝居興業のほかに活動写真・曲乗り・娘義太夫なども開演された。」とあるが、映画上映の年についての記述なし。

川越市に関する調査
『暮らしの中の映画 川越市立博物館収蔵品展 第13回』(川越市立博物館 [2003])
p5「川越の映画館」
川越の「鶴川座」で、大正時代に活動写真を上映していたという記述あり。

熊谷市に関する調査
『雑学から見た熊谷ものしり事典 明治・大正期における熊谷の自慢ばなし』(熊谷雑学研究所 2009)
p54-55「娯楽の殿堂熊谷町に出現」
熊盛座は明治27,8年目に開設された芝居小屋。大正14年5月13日の熊谷大火で焼失。翌15年8月竣工して大映画劇場として再興。初上映の時期の記述なし。
梅盛座は明治30年設立。地方劇団、浪花節などが興行してきたが、時勢の推移によって映画が上映されるようになったため廃業。大正8年に墨江町に再築し「電気館」と改め、映画専門館となった。

旧岩槻市に関する調査
『岩槻市史 通史編』(岩槻市 1985)
p965「有楽座は、友楽町の芳林寺の側に明治43年5月、新築落成をみた。この友楽座は当地唯一のものであったから、演芸・演劇はもちろんとして、活動写真なども上映され、~」とあり。
『岩槻市史 近・現代史料編2 新聞史料』(岩槻市 1981)
p112「岩槻の活動写真 旭マンマロ活動写真一座は30日より岩槻町友楽座に於て開場し非常に好評を博し居れり。(「国民新聞」明治43.12.2)とあり。
友楽座ができた明治43年の映画関係の記事を確認すると、上記の記事が初出・初上映かどうかは不明。 

本庄市に関する調査
『本庄市史 通史編 3』(本庄市 1995)
p376-405「明治30年頃本庄町の商工業」
p377「大劇場あり宮森座と名つく、構造完全にして衛生を害するの患いなく殆んど絶へず興業を為す」とあり。
出典は「明治32年3月5日発行、中山清夫(梧堂)編『本庄繁盛記』」。
映画を上映していたかどうかは記述なし。

事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
映画  (778 9版)
貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション  (090 9版)
参考資料
(Reference materials)
『新編埼玉県史 資料編 25(近代・現代7)教育・文化』(埼玉県 1984)
『新編埼玉県史 通史編 5 近代』(埼玉県 1988)
『浦和市史 4 近代史料編2』(浦和市 1979)
『近代浦和文化小史 浦和劇場(共楽座)の歴史 復刻合本』(山嵜廣 2000)
『共楽座(浦和劇場)の設立期について-明治末期の浦和の映画演劇環境考-』(山嵜廣[1999])
『大宮市史 第4巻 近代編』(大宮市 1982)
『暮らしの中の映画 川越市立博物館収蔵品展 第13回』(川越市立博物館 [2003])
『雑学から見た熊谷ものしり事典 明治・大正期における熊谷の自慢ばなし』(熊谷雑学研究所 2009)
『岩槻市史 通史編』(岩槻市 1985)
『岩槻市史 近・現代史料編2 新聞史料』(岩槻市 1981)
『本庄市史 通史編 3』(本庄市 1995)
キーワード
(Keywords)
映画
活動写真
サイレント映画
トーキー映画
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000111138解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
未解決
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