レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2012/06/16 17:49
- 更新日時
- 2013/05/03 14:23
- 管理番号
- 鳥県図20120061
- 質問
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解決
江ノ島で起こったボート事故に関する歌の歌詞を知りたい。
- 回答
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1910年、逗子の開成中学の生徒12人が七里ヶ浜の沖でボート転覆によって全員死亡したことを悼んで、当時鎌倉高等女学校の三角錫子教諭が作詞。トマス・W・ガーデン作曲の讃美歌、大和田建樹作詞の明治唱歌「夢の外」をもとして作られた。当初この歌のタイトルは「哀歌」だったが、いつしか「七里が浜の哀歌」とされ、さらに「真白き富士の根」、「真白き富士の嶺」に変っていった。6番までの歌詞がある。
図書・新聞記事・CDを提供。
- 回答プロセス
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検索エンジンで“江ノ島”“ボート”“事故”で検索すると
1910年の七里ヶ浜のボート事故がヒット。“真白き富士の嶺”“真白き富士の根”“七里ヶ浜哀歌”のキーワードが出てくる。
OPACで“真白き富士の根”を検索すると1件、“真白き富士の嶺”で5件ヒット。“七里ヶ浜哀歌”はヒットせず。
『「唱歌」という奇跡十二の物語 讃美歌と近代化の間で』 安田寛/著 文藝春秋 2003.10
ボート事故と歌が作られたときのいきさつ、2番までの歌詞が掲載。
(文中には「真白き富士の根」の4番の歌詞、とあるため、p176、177の詩も3・4番の詩と考えられる)
『真白き富士の嶺 三角錫子の生涯』 村上尋/著
東京 足立区コミュニティ文化・スポーツ公社 1992.05
作詞者である三角錫子の伝記。「真白き富士の根」という題名で6節の歌詞がある。(p184~)
『唱歌のふるさとうみ』 鮎川哲也/著 音楽之友社 1995.09
“七里ヶ浜の哀歌”の章にボート事故と歌の作られたいきさつがある。当初この歌のタイトルは「哀歌」だったが、
いつしか「七里が浜の哀歌」とされ、さらに「真白き富士の根」、「真白き富士の嶺」に変っていったとある。3番までの歌詞と楽譜付。
・読売新聞データベース「ヨミダス歴史館」
「真白き富士の嶺」で検索すると、「[歌のあるばむ]真白き富士の嶺(明治43年) 波間に消えた12人の子ら」という記事がヒット。
(1984年1月22日朝刊26ページ)
ボート事故と歌が作られたときのいきさつ、6番までの歌詞と楽譜、が掲載。
・CD
『ボニージャックス全曲集』 ボニー・ジャックス キングレコード 1989
「七里ヶ浜の哀歌」として3番まで収録。
『ダーク・ダックスによる日本唱歌大百科 2 』 ダーク・ダックス キングレコード 1992
「七里ヶ浜の哀歌」として6番まで収録。
『渡辺はま子のすべて』 渡辺はま子 ビクター 1986 3200円
「真白き富士の嶺」として4番まで収録。
- 事前調査事項
- NDC
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- 声楽 (767)
- 音楽 (760)
- 小説.物語 (913)
- 参考資料
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- 「唱歌」という奇跡十二の物語 讃美歌と近代化の間で (115283122 (767.7 /ヤスタ /一般S))
- 真白き富士の嶺 三角錫子の生涯 (111716405 (913.6 /ムラカ /一般H))
- 唱歌のふるさとうみ (112564854(767.7 /アユカ /一般H ))
- ボニージャックス全曲集 (170018579 (JM /ホニシ /映録C))
- ダーク・ダックスによる日本唱歌大百科 2 (170012472 (JM 童 /タクタ /映録C ))
- 渡辺はま子のすべて (170018131 (JM /ワタナ /映録C))
- キーワード
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- 歌
- ボート事故
- 七里ヶ浜
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000107320