レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006/08/10
- 登録日時
- 2007/02/11 02:10
- 更新日時
- 2008/12/27 11:03
- 管理番号
- 埼久-2006-044
- 質問
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解決
「オブリガード付き歌曲-佐渡おけさ」を書いた時の山田耕筰について(時代背景とこの時期の彼の仕事について)の文献はあるか。また作詞した川路柳虹との関わりについても知りたい。
- 回答
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「オブリガード付き歌曲-佐渡おけさ」川路柳虹作詞という楽譜や曲についての資料は確認できず。
以下は山田耕筰が編曲した「佐渡おけさ」についての回答。
1 「佐渡おけさ」を編曲した頃の山田耕筰について
①編曲した経緯が書いてある資料
『山田耕筰全集 5 歌曲5』p38斎藤正直宛の書簡に記述あり(斎藤夫妻が山田のためにおけさの第一人者である村田氏を自宅に招いて演奏してもらい、後日斎藤氏が採譜したものを送った友情に感謝して作ったとのこと)。p40-41「おけさ節」についての記述あり。
②当時、山田耕筰はどんな仕事をしていたか
『山田耕筰作品資料目録』略年譜p17-18 1927~28年の作品や活動について数行記述あり。
『はるかなり青春のしらべ 自伝/若き日の狂詩曲』p302 略年譜 1927年のことが1行あり。
「日本の作曲界と山田耕筰」(雑誌『音楽芸術』1986年2月号p18-22) 山田耕筰の業績と当時の様子がかいつまんで紹介されている。
「空白の洋楽史 山田耕筰-日本近代音楽史の鏡像」(雑誌『レコード芸術』2001年1月号p329-331に所収)p331に1920年代から1930年代の山田耕筰の様子が紹介されている。
2 山田耕筰と作詞家川路柳虹との関係について
『山田耕筰作品資料目録』p593 川路柳虹作詞22作品あるが、その中に「佐渡おけさ」はなし。
『山田耕筰作品全集 6』p2「とおくゆく雁」楽譜初版の自序に「親友川路柳虹氏の詩である」とあり。また、「風がひとり」の改題には以下のようにあり。「川路柳虹は、東京美術学校出身。早くに口語自由詩を発表して注目された詩人でもある。三木露風の主宰する文芸サークル「未来」の同人であり、山田もまたドイツ留学から帰国するとすぐこのサークルに迎え入れられているので、おそらくそうしたそうした事情から2人の交遊がはじまったのであろう。」
『三木露風略年譜』p7 大正三年(1914)の項目に、露風が主唱して結成された「未来社」同人として川路柳虹、山田耕筰の名あり。未来社主催の山田耕筰音楽晩餐会の記述あり。
「山田耕筰と日本の詩人たち」(雑誌『音楽芸術』1986年2月号p40-43に所収)p43 三木露風の項目に未来社同人と山田耕筰音楽晩餐会の記述あり。
- 回答プロセス
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山田耕筰関係書にあたる。その中に三木露風主宰の同人である記述があったので三木露風の『三木露風略年譜』『三木露風研究』『若き日の三木露風』『三木露風 赤とんぼの情景』や『全国郷土民謡集』や『佐渡の民謡』など民謡関係にもあたる。
《MAGAZINEPLUS》を〈山田耕筰〉で検索した結果のリストの中から、自館所蔵資料にあたる。
- 事前調査事項
- NDC
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- 声楽 (767 9版)
- 伝説.民話[昔話] (388 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 『山田耕筰全集 5』(第一法規出版 1965)
- 『山田耕筰全集 6』(第一法規出版 1965)
- 『山田耕筰作品資料目録』(遠山音楽財団付属図書館 1984)
- 『はるかなり青春のしらべ 自伝/若き日の狂詩曲』(山田耕筰 かのう書房 1985)
- 「日本の作曲界と山田耕筰」(『音楽芸術 1986年2月号』)
- 「空白の洋楽史 山田耕筰-日本近代音楽史の鏡像」(『レコード芸術 2001年1月号』)
- 『三木露風略年譜』(梅本光子1989)
- キーワード
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- 歌曲-歌謡
- 山田 耕筰(ヤマダ コウサク)
- 佐渡おけさ-郷土芸能-新潟県
- 全集
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000033329