レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 吹田市立中央図書館 (2310124) | 管理番号 (Control number) | 吹-40-2017-006 | ||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2016年6月23日 | 登録日時 (Registration date) | 2017年09月08日 12時31分 | 更新日時 (Last update) | 2018年03月14日 17時13分 | ||||
質問 (Question) | イサム・ノグチの息子が撮った写真集が見たい。イサム・ノグチ財団のアメリカ側の理事長でアメリカ在住だったと思う。 | ||||||||
回答 (Answer) | (1)『石に生きる 和泉正敏の仕事』(野口ミチオ/写真 悠思社 1994.4)を提供した。 この資料には、野口ミチオ氏はイサム・ノグチの実弟で、和泉正敏氏はイサム・ノグチの彫刻作品制作の協力者との記載があった。 また、イサム・ノグチ庭園美術館のホームページで「公益財団法人イサム・ノグチ日本財団役員名簿」を確認したところ、和泉正敏氏は公益財団法人イサム・ノグチ日本財団の理事長とあった。 | ||||||||
回答プロセス (Answering process) | イサム・ノグチの息子について情報を得るために、イサム・ノグチの経歴を伝記で確認した。 (2)『イサム・ノグチ 宿命の越境者 下』p56~72「結婚」の章に女優山口淑子(やまぐち よしこ)との結婚について記述あり。p132~133に山口淑子との離婚について、また「イサムと淑子との間には子供がなかった。」と記述あり。p384巻末年表にも1951年12月15日に山口淑子と結婚し、1956年2月に離婚したことが記載されており、その後の結婚については記載なし。結婚は山口淑子との1回だけのよう。また、p279に晩年のイサムについて「「わが子」がいないことをイサムは悔やんだ」、p357の遺言状に「ぼくには子供がいない。」とある。 (3)『評伝 イサム・ノグチ』にも山口淑子との結婚と離婚について記述があるが、子どもについては記述がない。 山口淑子の伝記も調べてみた。 (4)『李香蘭 私の半生』(山口淑子・藤原作弥/著 新潮社 1987.7)p371、p384にイサム・ノグチとの結婚と離婚について、p385に「子供ができなかったのも遠因だったかもしれない。」と書かれている。 以上より、イサム・ノグチに息子はいなかったと推測された。 次に、イサム・ノグチ財団についてインターネットで検索したところ、イサム・ノグチ庭園美術館のホームページで、公益財団法人イサム・ノグチ日本財団の理事長は和泉正敏氏と判明した。また、ホームページの中で、イサム・ノグチが和泉正敏氏をパートナーとして制作に励んだと紹介されていた。上記資料(2)(3)にも和泉氏が作品制作に深く関わった石職人であったことが述べられており、資料(2)のp357には、遺言状に和泉氏の名前があったとの記述があった。 イサム・ノグチと和泉正敏氏の関係を調べるために、当館の検索機で「和泉正敏」というキーワードで検索したところ、回答(1)の資料が見つかり、和泉正敏氏はイサム・ノグチの彫刻作品制作の協力者であり、著者の野口ミチオ氏はイサム・ノグチの実弟との記載があった。質問者に確認したところ、この資料がお探しの写真集であることが判明した。 | ||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | |||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | |||||||||
寄与者 (Contributor) | |||||||||
備考 (Notes) | 「公益財団法人イサム・ノグチ日本財団」のホームページはリンク不可(最終確認2017.12.4) | ||||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 | 内容種別 (Type of subject) | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | |||||
登録番号 (Registration number) | 1000221683 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |