レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年4月19日
- 登録日時
- 2022/10/23 00:30
- 更新日時
- 2022/11/21 14:43
- 管理番号
- 中央-1-0021591
- 質問
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未解決
素人は玄人より幸福であるか。だとしたら物事に練達し、素晴らしい作品を生む意味とは。
- 回答
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求められた内容に沿う資料は残念ながら見つからなかった。
考えのヒントになりそうなものとして、以下の資料を紹介した。
・『経験としての芸術』ジョン・デューイ/著 栗田修/訳 晃洋書房 2010年
第13章「批評と知覚」で、知覚(perception)が美的批評に影響を与えるといった内容が取り上げられている。
p372「批評(判定)はつねに直接的な知覚の感覚的性質によって決定される」
・『知識無用の芸術鑑賞』川崎昌平/著 幻冬舎 2007年
p3「究極的には、芸術作品を鑑賞する上で知識は必要ない、というのが僕の意見です。何よりもまず、芸術は思考のための素材であるべきなのですから。」
p5「これは完全に個人的な意見ですが、芸術に対して知識を深めることは、かえって芸術の本当の魅力から遠ざかる行為なのではないかと僕は思っています。芸術を「研究」するのならばともかく、「楽しむ」ためには、知識は間違いなく邪魔者。」
・『美意識を磨く』山口桂/著 平凡社 2020年
p64-65「真のグルメはA級もB級も分かる」
p170-180「絵を頭で見るか、心で見るか」
・『芸術とは何か』千住博/[著] 祥伝社 2014年
p50-52「すぐれた絵画とは、どういうものですか」において、絵画とは人と人とがコミュニケーションをするために必然的に生まれた情報伝達のツールであり、「当たり前の誰とも変わらない人間としての発信、ということが、真のすぐれた絵画の条件となります」と述べている。
・『中村光夫全集 第6巻』中村光夫/著 筑摩書房 1972年
p230 小林秀雄論の中で、
10行目「(略)一般の人々は、大勢のなかから偶然にまかせて、友人や恋人を選ぶやうに、無数の芸術作品のなかから、気に入つたやりかたで、心に訴へる作品を選りだします。芸術の歴史の知識や、系統づけなどは、彼等にとつて余計な累しい邪魔物にすぎないので、ただ気に入る女の顔があるやうに、好きな芸術作品があるだけなのです。小林氏や芸術にたいするとき、さうした素人の直感以外は一切無用と信じて、自分もそれを同じ立場に立たうとしてゐます」
・『芸術学事始め』小林道憲/著 中央公論新社 2015年
p97-134 創作者の立場において、創作とは何か、創作することの意味について述べている。
p137-161 鑑賞者の視点に立って、鑑賞の意味、創作との関係等について述べている。
特にp152「芸術作品は一つの象徴であって、それがすぐれたものであればあるほど、様々に理解される。特に古典的作品は長い風雪に耐えてきたから、鑑賞する度に新たな理解が可能である。作品それ自体は絶えざる解釈を許すものであり、未完成の存在である。(中略)芸術は歴史的・形成的なものであり、創造は鑑賞の中でさえ完結しない。」あたりが参考になると思われる。
・『論理的美術鑑賞』堀越啓/著 翔泳社 2020年
p217-230「第9章 美術が必要とされる理由とは?」において、美術を鑑賞することで得られるものや創作の意義について述べている
・『芸術がわからなくても美術館がすごく楽しくなる本』藤田令伊/著 秀和システム 2015年
p62-65「美術が「わからない人」など存在しない」において、「美術を楽しむために深い知識や鑑定眼は必要ない。必要なのは、「自分の眼」で見て自分なりの価値観で作品を楽しむこと」と述べている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 哲学 (10 10版)
- 芸術.美術 (70 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 素人
- 玄人
- 幸福
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000322931