レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年04月15日
- 登録日時
- 2012/09/07 02:01
- 更新日時
- 2015/04/10 12:18
- 管理番号
- 2011-011
- 質問
-
解決
江戸時代後期(安政期:1854-1860)に活躍したという、
見世物の口上人「あまからや」が、存在したという資料を探している。
「あまからや」が大仏の鼻から飛び出る絵画資料があると聞いたので、「あまからや」の存在の裏づけ
として、絵画資料を探して欲しい。
- 回答
-
“あまからや”と“大仏図絵”につきまして、下記資料を確認いたしました。
・小野武雄 編著『見世物風俗図誌』(展望社,1977.5)
p.176「第三章 見世物・活人形 天竺人形」中に、安政年間と天保二年の天竺人形の絵図2種あります。
安政年間の絵図の方には、鼻下部に人物が描かれています。それぞれ大仏の絵が確認できました
が、“大仏から飛び出た”か、どうかの記述は確認できませんでした。
・関山和夫 [ほか] 編『寄席・見世物 / 日本庶民文化史料集成 第8巻』(三一書房,1976.8)
p.653「観物画譜」図No.216は、『見世物風俗図誌』に掲載されている安政年間の絵図と同様のもの
ですが、画像が大きく、大仏の鼻下部に「口上 あまからや」の記載が確認できました。
p.681 図No.八十四は、No.216と同じ絵図でより鮮明ですが、大仏の鼻下部には「あまからや」の記載は
なく、鼻右部分に「あまからや」の記載があります。
p.545,548「観物画譜 解説」を確認するとNo.216は、“・・・安政年間(大坂)難波新地野側暁寺(岡野)
芳秀画(「摂陽観場画譜」所収のもとは、「あまからや」が大仏の鼻の下か左頬かなどの小異が
ある。)・・・”と記載あり、No.八十四は、217を参照と記載あります。※216の誤記と思われます。
安政期のあまからやの絵図資料は、確認できました。
いずれも大仏の絵は確認できましたが、“大仏から飛び出たかどうか”につきましては、確認できませんでした。
- 回答プロセス
-
1.データベース検索
KW:あまからや,見世物 で、検索。情報なし。
Cinii(0件),マガジンプラス(0件),雑誌記事索引集成DB(0件),Japan Knowledge(0件),
大宅壮一文庫(3件,関係なし),聞蔵(0件), 近代デジタルライブラリー(0件),
国会デジタル化資料(0件)【参照 2012-11-14】
2.国立国会図書館 リサーチナビ 利用
『錦絵(浮世絵)』項目を参照。情報なし。
3.NDC 779.4(大衆演芸,見世物)の、当館開架資料をブラウジングし、下記資料を調査した。
※鵜飼正樹, 北村皆雄, 上島敏昭 編著『見世物小屋の文化誌』(新宿書房,1999.10)
〈BA43784733〉より
上島敏昭 著「見世物研究資料」p.324~に参考文献多数あり。
また、p.326 1行目には“(略)『日本庶民文化史料集成』第八巻「寄席・見世物」
(三一書房・昭和五一年)が出ている。同書には、朝倉の蒐集による「観物画譜」が収録された。”
と記載があったので、この資料を中心に、当館所蔵資料を下記の通り調査した。
・朝倉無声 著『見世物研究』(春陽堂,1928.4)< BN08855041>
p.229 下段7行目「細工編(初期の下)」中に、“・・・かく人気を集めた合羽大仏も、あまりに巨大で
あるという廉で、四月に入るや寺社奉行所から取拂ひを命ぜられ・・・”と記載あり、当時巨大な
大仏の見世物が存在したことが確認できた。(絵図あり)
p.267 下段8行目「細工編(中期の下)」中に、“大切りは天竺大人形と號けて、居丈十六間余の大佛、
其掌は二間四方の八畳敷程であった。”との記載あり。(絵図あり)
・小野武雄 編著『見世物風俗図誌』(展望社,1977.5)
p.176 「第三章 見世物・活人形 天竺人形」中に、安政年間と天保二年の天竺人形の絵図2種あり。
それぞれ、大仏の絵が確認できる。
・古河三樹 著『見世物の歴史』(雄山閣出版 ,1970)
上記と同様の情報。
・古河三樹 著『図説庶民芸能 : 江戸の見世物』(雄山閣出版 ,1982.2)
上記と同様の情報。
・永井啓夫 編『大衆芸能 / 伝統と現代 第8巻』(学芸書林,1969.3)
情報なし。
・藤沢衛彦 著『変態見世物史』(文藝資料研究會,1927)
情報なし。
・畑耕一 著『變態演劇雜考』(文藝資料研究會,1928.9)
情報なし。
・関山和夫 [ほか] 編『寄席・見世物 / 日本庶民文化史料集成 第8巻』(三一書房,1976.8)
p.653「観物画譜」図No.216は、『見世物風俗図誌』に掲載されている安政年間の絵図と同様のもの。
画像が大きく、大仏の鼻下部に「口上 あまからや」の記載が確認できた。
また、p.681 図No.八十四は、No.216と同様でより鮮明だが、大仏の鼻下部には「あまからや」
の記載はなく、鼻右部分に「あまからや」の記載あり。
p.545,548「観物画譜 解説」を確認するとNo.216は、“・・・安政年間(大坂)難波新地野側暁寺(岡野)
芳秀画(「摂陽観場画譜」所収のもとは、「あまからや」が大仏の鼻の下か左頬かなどの小異
がある。)・・・”と記載あり。No.八十四は、217を参照と記載あり。※216の誤記と思われる。
- 事前調査事項
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近松門左衛門『本朝三国志』(1710年頃)の刊本より、大仏に関する記述のある下記資料を確認した。
・近松門左衛門 著,近松全集刊行会編纂,『近松全集 第一七巻(影印編)』,(岩波書店,1994.4)
〈BN00195266〉
p.396 挿図 (12ウ)(別裏見返)
・近松門左衛門 著,近松全集刊行会編纂,『近松全集 第一一巻』,(岩波書店,1989.8)〈BN00195266〉
p.101 9行目 本朝三国志 第五“仏のはなを吹出され。”の記載があり。
飛び出たと思われる記載がある。
100年後の1800年代にも同様の絵が存在すれば、「あまからや」が存在していたという裏付になるのではないか。
- NDC
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- 大衆演芸 (779)
- 日本史 (210)
- 参考資料
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- 鵜飼正樹, 北村皆雄, 上島敏昭 編著『見世物小屋の文化誌』,(新宿書房,1999.10)〈BA43784733〉
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朝倉無声 著『見世物研究』(春陽堂,1928.4)
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小野武雄 編著『見世物風俗図誌』(展望社,1977.5)
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関山和夫 [ほか] 編『寄席・見世物 / 日本庶民文化史料集成 第8巻』(三一書房,1976.8)
- キーワード
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- あまからや
- 見世物
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000111095