レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年06月17日
- 登録日時
- 2017/02/20 11:18
- 更新日時
- 2017/02/24 11:58
- 管理番号
- 千県東-2016-0008
- 質問
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解決
浮世絵師 昇斎一景(しょうさい いっけい)の経歴を記した本が見たい。
- 回答
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昇斎一景の詳細な経歴は知られていないようでした。
簡単な経歴について記述のあった資料は以下のとおりです。
【資料1】『明治維新人名辞典』(日本歴史学会編集 吉川弘文館 1981)
p511-512「昇斎一景」
「明治四年版「東都名所四十八景」に山々亭有人が記した題詞によれば、かって京に遊び、円山応挙・長沢芦雪・岡本豊彦・松村呉春の画風を慕って修練を積み、のちに故あって画を廃し、久しく時雨ヶ岡に隠棲したとあり、詳細な閲歴は知られていない。三代広重風の風景画や滑稽味のある開化風俗画が多数あり、四条派の影響を受けていることも知られる。」
これと同様の記述が以下の事典にもあります。
【資料2】『日本人名大事典 3 サ-タオ』(平凡社 1979)
【資料3】『幕末維新人名事典』(宮崎十三八編 新人物往来社 1994)
【資料4】『浮世絵大家集成 続 第4巻 国周・周延』(大鳳閣書房 1933)
p1-10「国周・一景・国輝・周延」
「一景は氏名未詳、昇斎一に景昇斎と號した。曾て京都を遊歴して四条派の書風を研鑽し、後ち歸東して上野山下に住んでいた。浮世絵界に進出したのは、明治初年であって、幾ばくならずして隠退した。併し乍ら、一種清新の気に充ちた其の書風は、流石に根據を有するだけに、常時の斯界にあっては一明星たる失はなかった。彼の人物画は、頗るユーモアに富んだものであり、又風景画は稍三代廣重に近い特徴があった。」、「ここで一つ考へられることは、暁斎と一景とがあれだけの技倆を示し乍ら、何故に番附面に載らなかったかという一事である。察するに、暁斎は一たび國芳門下を去った人であり、一景は正式に浮世絵の書系を踏んで来なかった人である。謂はば一種の異端者であるといふ事、それが最大原因であろうと私は思ふ。」という記述があります。
【資料5】『昇斎一景 明治初期東京を描く』(町田市立博物館 1993)(千葉県立図書館未所蔵、千葉県内公立図書館未所蔵)
昇斎一景の作品集で、昇斎一景に関する文章も掲載されています。(経歴について、詳しいことは不明となっており、簡単に触れられているくらいです。)
p6-9清水勲「昇斎一景の世界」
p90-91「昇斎一景覚書」
【資料6】『原色 浮世絵大百科事典 第2巻 浮世絵師』(日本浮世絵協会編集 大修館書店 1982)
p13「一景」
【資料7】『浮世絵大事典』(国際浮世絵学会編集 東京堂出版 2008)
p244「昇斎一景」
- 回答プロセス
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・人物事典などに掲載されている美術家の総索引である『人物レファレンス事典 美術篇』(日外アソシエーツ 2010)を確認。p531に「昇斎一景」の項目があり、【資料1】【資料2】【資料3】などが掲載されていた。
・国立国会図書館サーチ(http://iss.ndl.go.jp/)でキーワード「昇斎一景」「一景 浮世絵」と検索すると【資料4】【資料5】がヒットした。【資料5】は千葉県立図書館で未所蔵だったので所蔵館から取り寄せ、内容を確認した。
・県立中央図書館にて、NDC721付近のブラウジングにより【資料6】【資料7】を確認。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本画 (721 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『明治維新人名辞典』(日本歴史学会編 吉川弘文館 1981)| 2100520992
- 【資料2】『日本人名大事典 3 サ-タオ』(平凡社 1979)| 2100526913
- 【資料3】『幕末維新人名事典』(宮崎十三八編 新人物往来社 1994)| 2100523054
- 【資料4】『浮世絵大家集成 続 第4巻 国周・周延』(大鳳閣書房 1933)| 9102632168
- 【資料5】『昇斎一景 明治初期東京を描く』(町田市立博物館 1993)|千葉県立図書館未所蔵
- 【資料6】『原色 浮世絵大百科事典 第2巻 浮世絵師』(日本浮世絵協会編集 大修館書店 1982)|1100350120
- 【資料7】『浮世絵大事典』(国際浮世絵学会編集 東京堂出版 2008)|0106073132
- キーワード
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- 昇斎一景
- 浮世絵
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000210296