レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年07月02日
- 登録日時
- 2017/11/01 16:57
- 更新日時
- 2019/06/27 11:35
- 管理番号
- 島根郷2017-07-002
- 質問
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解決
松江藩7代目藩主・松平治郷は多数の茶道具や美術品を所有していましたが、治郷の没後、これらの美術品は遺品としてどのように分配されたか知りたいです。
- 回答
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当館所蔵資料より、下記の資料を紹介し回答。
資料1:下巻p1-37「美術の保護」の項目あり。
「道具帖」という339点の道具の目録を記し、また齋恒(松江藩8代藩主)にむけて「自寶物至上之道具品々相譲申候。孫々まで申傳、一種も他へ被出間敷者也」(文化8年9月)と伝えている。特に「道具帖」で宝物の(一)(二)に分類されるものは茶会でも用いてはならないとし、宝物(三)の道具類は「格別之茶会」であれば用いてもよい、大名物(おおめいぶつ)に分類されるものは茶会に用いてもよい、などと細かく指示している。
資料2:p100「雲州蔵帳」の解説部分に道具についての記述あり。
治郷は道具帖を書くと同時に、資料1にもある「自宝物至(中略)間敷者也」という譲り状を子の齊恒(号:月潭)宛に書いている。これは大正時代まで守られていたが、そのころから少しづつ出庫し、戦後は完全に離散してしまった。ただ、昭和5年に当主の松平直亮によって東京帝室博物館に14点が献納されている、としている。
資料3:p22-28「不昧公の遺言」(藤間亨)。
p25に、「不昧公は文化八年還暦を期して永年心血をそそいで蒐集した茶道名器類いっさいを嗣子斉恒(月潭)に譲ることとし、自筆の『道具帳』を遺した。これが『雲州蔵帳』と称されて今日流布するものである」としている。また、譲り状を書いた後にも治郷は道具蒐集を続け、没年に書いた「遺言」では所蔵品を「宝物」「大名物」「中名物」など7つに分類して整理していた、としている。この「遺言」の後書きには、たとえ茶の湯が嫌いだとしても、これらの道具は自分が集めた宝物であるから死後も大切にすることが孝行である、と念を押していることがわかる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 8版)
- 茶道 (791 8版)
- 参考資料
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【資料1】松平家編輯部 編纂 , 松平家. 松平不昧傳 増補復刊. 原書房, 1999.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002839735-00 , ISBN 4562032529 (当館請求記号 郷貸出 289.1/マ99) -
【資料2】日本美術工藝 臨時増刊187. 日本美術工芸社, 1954.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069421082-00 (当館請求記号 貴重092.8/106※貸出禁止資料) -
【資料3】茶道雑誌 平成5年8月号. 河原書店, 1993.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069469978-00 (当館請求記号 097.9/102 ※貸出禁止資料)
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【資料1】松平家編輯部 編纂 , 松平家. 松平不昧傳 増補復刊. 原書房, 1999.
- キーワード
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- 島根県
- 松江藩
- 松平治郷
- 松平不昧
- 雲州蔵帳
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000224152