以下の資料に記述を確認しました。
・『日光市史 下巻 近現代・民俗』(日光市史編さん委員会/編 日光市 1979)
p.691-693「第11章 第二次世界大戦への道 2 冬季スポーツ」の項に関連記述があります。
「昭和十年(1935)には日光町、栃木県体育協会が第五回冬季オリンピック候補地としての会場誘致運動をしている。」等、概要が記されています。
・『幻の東京五輪・万博1940』(夫馬信一/著 原書房 2016)
p.82-85「第3章 第5回オリンピック冬季競技大会・札幌」内に「幻の日光オリンピックへご招待」の項があり、計画内容について記されています。
p.82「栃木県が作成した『施設計画書』では、冒頭に日光で冬季オリンピックを行う利便性を強くうたっている」とあります。
なお、上記『施設計画書』は当館未所蔵です。
p.83によれば、出典は「『日光ニ於ける冬季オリンピック施設計画書』/提供:外務省外交史料館/『国際「オリムピック』競技大会関係一件 本邦大会関係 第三巻』」とのことです。
当該資料は外務省外交史料館とアジア歴史資料センター内で閲覧が可能なようです。
(参考)国立国会図書館レファレンス協同データベースより
「1940年(昭和15年)に東京でオリンピックを開催する予定があったと聞きましたが、本当ですか。」(外務省外交史料館)中で、「国際「オリムピック』競技大会関係一件 本邦大会関係」の所在について記されています。
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000075509 [最終確認日2020年2月18日]
・『観光地日光その整備充実の歴史』(手嶋潤一/著 随想舎 2016)
P.32-47「第1部 観光行政 第3章 昭和戦前 第1節 日光国立公園誕生以前」の項に関連記述があります。
日光町議会、栃木県議会の記録から本県における誘致運動の経緯を追っています。
また計画内容を知るための当時の資料として、日光市立図書館で所蔵する『参考附図 栃木県』に言及しています。
「オリンピックを日光に招致するためにまとめられた書類に添付された図面」ではないかと考察されており、「ジャンプ台」「ダウンヒル空中ケーブル」等の図版が掲載されています。
(図版は、前出『幻の東京五輪・万博1940』中の『施設計画書』と似ているように見えます。)
なお、この節で用いた参考文献は、p.131‐132に掲載されています。
一次資料を確認される場合にご活用ください。
この他、当館未所蔵資料ですが、調査過程において以下の資料を確認しましたので、ご参考までにお知らせします。
誘致運動当時、スケート連盟は日光、スキー連盟は札幌を候補地として推していたそうです。
・「1940年幻の札幌オリンピック招致運動について」(新井博/箸)
「びわこ成蹊スポーツ大学研究紀要 第11号」(2014)所収
(参考)
http://libir-bw.bss.ac.jp/jspui/bitstream/10693/1233/1/%E7%B4%80%E8%A6%8111%E5%8F%B7%20055-062%20%E6%96%B0%E4%BA%95.pdf以下は国立国会図書館デジタルコレクション資料です。
・『スキー年鑑. 第9号』(全日本スキー聯盟/編、発行 1935)
p.104「1040年 オリムピツク冬季競技場問題」
p.260-261「スキー競技地としての日光」(菅原理一/著)
(参考)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1174611 [最終確認日2020年2月18日]
・『スキー年鑑. 第16号(昭和17年版)』(大日本体育会スキー部会/編 大日本体育会 1943)
p.34-35「日光飛躍丘について」(伊黑正次/著)
(参考)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1172362 (参加館限定送信)
[最終確認日2020年2月18日]
また、以下の資料はお調べしましたが、情報を確認できませんでした。
・『体協15年誌』(藤田三郎/編 栃木県体育協会 1963)
・『「下野」世相100年』(「下野」世相100年刊行委員会/編 下野新聞社 1984)
・『日光史』(星野理一郎/著 日光第二尋常高等小学校 1937)
・『日光の風景地計画とその変遷』(手嶋潤一/著 随想舎 2006)
・『栃木県会々議日誌 府県制施行』 第38回-40回(栃木県/編、出版 1935)