①『学校スポーツ』のp.20に、「ドッジボールは、イギリスで古くからおこなわれていた子どものあそびが起源だといわれています。日本へは1909年に伝わり、「円形デッドボール」とよばれました。(中略)また、1917年、東京女子高等師範学校の教師永井道明が、はじめて四角いコートをつかった「方形デッドボール」を紹介しましたが、これは、ドイツで「ヘッズベル」とよばれる室内競技に手を加えたものでした。その後、1926年、同じく東京高等師範学校の大谷武一が「ドッジボール」と名付け、防御する側がボールをとり、ボールをとった人は、あたったことにはならないという方法を採用しました。」と記載がある。
②『ドッジボールをはじめよう』のp.44に「ドッジボールがはじめて日本に紹介されたのは、1909(明治42)年のことです。体育教師の坪井玄道らによって、イギリスではじまった遊技がアメリカにわたり、アメリカから日本へ伝えられました。当時の呼び名は「円形デッドボール」。1913(大正2)年には、東京府(現在の東京都)が出版した『学校体操教授要項』という指導書のなかで紹介されました。(中略)円形のコートが、いまのように四角くなるのは1917(大正6)年からです。東京女子高等師範学校(女性の高校教師を育てる学校)の永井道明が、ドイツでさかんだった「ヘッズベル」という遊技をもとにした「方形デッドボール」を考え出したのでした。(中略)1926(大正15)年、東京高等師範学校の大谷武一が欧米の留学から帰国すると、長方デッドボールのルールがいくつか見直され、名まえも「ドッジボール」と改められました。」と記載がある。
③『日本体育基礎文献集 第17巻』は、「大正・昭和戦前期の日本の体育基本文献を蒐め、復刻版による全三六巻・別巻一の集成とした」ものである。
凡例に、「17巻 可児徳・石橋蔵五郎・寺岡英吉『理論実際競技と遊技』(中文館書店・大正八年刊・同年再版)」の記載があった。p.380の第七十六節に「デツドボール(其一)」の記載がある。
④『学校体育制度史』p.374に「学校体育指導要領 昭和22年版」が掲載されており、p.377の「運動」の表に「ドッジボール」の記載があった。これにより、昭和22年には指導要領にドッジボールが教材としてあることが分かる。