レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/01/30
- 登録日時
- 2014/03/07 00:30
- 更新日時
- 2014/03/30 15:31
- 管理番号
- 0000000159
- 質問
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解決
インターネットのウィキペディアに「古典園芸植物」の記載があり、江戸時代に「各藩は自慢の植物を「お留花」として門外不出とし・・・」と記載されている。加賀藩でもそのような「お花」があったのかどうかを確認したい。
- 回答
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(1)花卉全般
①『石川県園芸要鑑』p253に「第4編花卉栽培 第1章今町の花」によりますと、
「史の徴すべきものなしと雖も口碑の伝ふる所に依れば、往昔寛文年間、同地正福寺の住職に光学なるものあり、博学多識にして花卉を好み、常に之が培養を念とせしが、故ありて金沢市内三社三構に移転し、藩主前田公に侍仕せり、然るに公曾て同僧に問ふに、管内花卉栽培の適地を以てせらる、即ち答ふるに此地を以てし種苗及び剪採用の山刀等を請ひ受け、之を村民に与えて奨励したるを濫觴とし」(旧字は新字に新ため、句点を加えています)と、河北郡花園村字今町(現金沢市今町)に、前田氏の要望により花卉栽培を始めたという伝承を記載しています。
②前田綱紀の事蹟にありそうな感じでしたので、『加賀松雲公』近藤磐雄編(羽野知顕 1909)を確認しましたが、見つかりませんでした。
(2)菊
・『金沢市史 資料編9』p581には、「安政6年3月菊畠増加の取締り」という、藩からの菊栽培の増加差止めの指示に対する河北郡大衆免村・山上村・卯辰村の請書があります。
解説では、菊畠の拡大は背後に花卉需要の増大があり、それを求める文化水準の高揚が考えられるとしています。
(3)福寿草
・『福寿草 松任芽』p58に、「福寿草の一種である「松任芽」は・・・其の昔藩政時代には毎年正月(旧暦)松任福寿草として加賀藩の愛用を受けていたと伝えられております。」と伝承を記しています。
・『金沢市史 資料編3』p626-627「明和9年正月 治脩、年頭の諸儀式」には、「安房守(本多政行)より福寿草一箱植・・・前々上候間・・・」という部分があります。
これ以外に、藩の産物や献上物としての花卉についての史料は見つかりません。(菊などは薬種の中には含まれていますが)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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現在日本史の教科書の「歴史の探究」と「植物学事始」の項目があり、主に江戸時代の朝顔の品種改良のことが記されている。
ウィキペディア「古典園芸植物」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%85%B8%E5%9C%92%E8%8A%B8%E6%A4%8D%E7%89%A9 最終確認日:2014/01/30)
- NDC
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- 園芸.造園 (62 9版)
- 参考資料
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- 1 石川県園芸要鑑 大野 正道∥編 石川県農会 1916.4 K620/1
- 2 金沢市史 資料編9 金沢市史編さん委員会∥編集 金沢市 2002.3 K222/125/2-9
- 3 福寿草 松任芽 黒川 孝二∥著 鍋嶋 定明∥編 松任芽保存会 1973.4 K627/1
- 4 金沢市史 資料編3 金沢市史編さん委員会∥編集 金沢市 1999.3 K222/125/2-3
- キーワード
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- 花卉
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000150317