レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20210618
- 登録日時
- 2021/08/06 00:30
- 更新日時
- 2021/08/11 16:24
- 管理番号
- 0000201691
- 質問
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解決
近世の佐賀における米に関する資料はないか。
- 回答
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次の資料に記載がありました。
(1)『佐賀県農業史』 佐賀県農業史編纂委員会/編 佐賀県 1967
p.71 第Ⅲ・2表 藩政時代の米の品種
※国立国会図書館デジタルコレクション(図書館送信資料)で閲覧可(47コマ)
(2)『佐賀県稲作坪刈の研究』 早川 孝太郎/著 農林省農業総合研究所 1950
p.318-322 附録三 累計品種表 A(厳木村浪瀬) ※安永9~昭和9年まで記載
p.322-325 累計品種表 B(相知町町切) ※文化元~昭和10年まで記載
p.325-328 累計品種表 C(相知町横枕) ※天保元年~昭和10年まで記載
p.328-330 累計品種表 D(相知町湯屋) ※天保元年~昭和10年まで記載
※国立国会図書館デジタルコレクション(図書館送信資料)で閲覧可(167-173コマ)
(3)『諸富町史』 諸富町史編纂委員会/編 諸富町史編纂事務局 1984
p.282-284
米の種類としては肥前米には、大きくわけて山白米・白米・赤米・黄米の別があり、白米には山白米・白米の別があったが、品種の違いでなく、山手でとれるかのと平野部でとられるの違いである。黄米は白大唐のことで、赤米の一種である。~寛政元年(一七八九)の『巡見録』に三重村庄屋平右衛門が赤米についての巡見使の問に次のように答えている。同所にて通副に中手と中田と葉色相変わる様候を御覧、あれは養いの加減にて色違い候やと仰せ聞けられる。中田と中手と申す米、葉色も其通り変り候と申し上げ候えば、どれが赤米かと御座候につき、赤く相見え候苗が赤米の由申し上げ候。これによって、江戸中期には当地にも赤米が栽培されていたことがわかる。
(4)『巡見録 寛政元年 七』(複鍋/312-3/7) 102丁ウラ
※(3)で紹介した記事は『巡見録』に記載されています。この資料は古文書のため、解読や調査は御自身でお願いいたします。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 農業 (61)
- 九州地方 (219)
- 参考資料
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(1)佐賀県農業史編纂委員会 編 , 佐賀県. 佐賀県農業史. 佐賀県, 1967.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000817036-00 -
(2)早川孝太郎 著 , 早川, 孝太郎, 1889-1956. 佐賀県稲作坪刈の研究. 農林省農業綜合研究所, 1950.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000747259-00 -
(3)諸富町史編纂委員会 編. 諸富町史. 諸富町史編纂事務局, 1984.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001702327-00 - (4)巡見録 寛政元年 七 【鍋島家文庫 複鍋/312-3/7】
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(1)佐賀県農業史編纂委員会 編 , 佐賀県. 佐賀県農業史. 佐賀県, 1967.
- キーワード
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- 米
- 農業
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000302879