レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年8月14日
- 登録日時
- 2017/08/13 14:39
- 更新日時
- 2017/08/14 10:26
- 管理番号
- 128
- 質問
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解決
江戸時代、領主に納める年貢米は、籾、あるいは籾殻を取り除いた玄米の、いずれで納めていたのか?
- 回答
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江戸時代の年貢米の納め方は、日本各地で差異があるようですが、幕府直領では基本は玄米で納めていたと考えられます。
また、西摂津地域では、幕府領・藩領・旗本領といった領主の違いを問わず、概ね玄米で納めていたようです。
ただし、備荒貯蓄用など長期保存を目的とする場合は、籾で備蓄する事例もありました。
- 回答プロセス
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すぐに確認できる文献がみつからなかったため、間接的ではあるが、米の収穫から年貢米納入のためのプロセスにおいて籾すり作業が実施されているか否かを確認した。次に、年貢米納入そのものに関する同時代史料を検索し、最後に籾で貯蓄する事例があったのか否かを調べた。
1 米の収穫から俵詰めまでのプロセスについての主な参考文献
◆笹間良彦編著『ビジュアル版 資料日本歴史図録』(柏書房、1992)
p240以下 「稲の種蒔から苅取まで」を紹介した図に、「籾すり」「風おこし」「唐箕」など、籾から玄米にする工程を経てから俵詰めをしている様子が紹介されている。また、俵詰めに際し、「玄米を枡で計る」との紹介がある。出典は『農具便利論』。
◆大蔵永常「農具便利論」
・『日本農書全集15 除蝗録/農具便利論/綿圃要務 』(農山漁村文化協会、1977)
・滝本誠一編『通俗経済文庫 11~12 復刻(日本経済大典補巻6)』(明治文献、1976)
・『江戸科学古典叢書4 農具便利論・たはらかさね耕作絵巻(抄)』(恒和出版、1977)
◆『尼崎市史』第5巻
「尼崎藩松平氏納米関係触れ(5通)」
p441以下 享和元年(1801)8月の触等で、年貢米の籾すりについての指示(木臼でなく唐臼を使用すべし)があり、松平氏時代の尼崎藩は玄米で納めていたことがうかがえる。
「万多羅寺村五人組御仕置き帳」元禄11(1698)
p618以下 この時代幕府直領である万多羅寺村において、「米納之儀庄屋・年寄立会青米・死米・くたけ・籾ぬか等無之様ニ随分致吟味、升目不切様ニ俵入可念入事」と籾すりによる「砕け米」や籾殻の混入が無いよう指示する記述があり、尼崎市域の幕府領でも玄米で納めていたことがうかがえる。
2 年貢米の納め方についての主な参考文献
◆大石慎三郎校訂『地方凡例録』上巻(近藤出版社、1969)
p256~257「諸国俵入之事」の一節に「一 甲州の年貢前々は籾納にて…往古籾納のことは日本一統と雖も、甲州は世上米納に成たる後迄も籾納に致たる由にて、今の米納は何の頃より始りたるにや時代詳かに知難し」とある。幕府領については、一般的には(甲州除く)「米納」(=玄米での納入)であったと考えられる。
3 備荒貯蓄についての主な参考文献
◆尾崎真理「近世後期における幕府備荒貯蓄政策の特質―畿内幕領村を対象に―」(『ヒストリア』244号、大阪歴史学会、2014.6)
たとえば、天明8年(1788)7月、谷町代官所において摂州菟原・八部・武庫の幕府領村々に対して触れ出された「貯夫食仕法」について検討された箇所などでは、籾で蓄えることが記されている。
- 事前調査事項
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若尾俊平編著『図録古文書入門辞典』(柏書房、1991)に、「年貢米の納入は、田祖は米(籾)…」とあるので籾でおさめていたのではないかと考えた。
- NDC
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- 近畿地方 (216)
- 農業史.事情 (612)
- 財政史.事情 (342)
- 参考資料
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- 笹間良彦編著 , 笹間, 良彦(1916-). 資料・日本歴史図録. 柏書房, 1992-11. , ISBN 4760108505 (当館請求記号 203/サ)
- 農山漁村文化協会/編 , 農山漁村文化協会. 除蝗録 農具便利論 綿圃要務. 農山漁村文化協会, 1978. (日本農書全集 ; 15) (当館請求記号 615.5/ニ-15)
- 滝本 誠一 , 滝本 誠一. 通俗経済文庫 11~12 復刻. 明治文献, 1976. (日本経済大典補巻6) (当館請求記号 211.1/タ-60)
- 大蔵 永常 著 , 大蔵‖永常. 農具便利論. 恒和出版, 1977. (江戸科学古典叢書 4) (当館請求記号 502.5/エ-4)
- 尼崎市/編 , 尼崎市. 尼崎市史 第5巻. 尼崎 尼崎市, 1974. (当館請求記号 219/A/ア-5)
- 大石久敬. 地方凡例録 上・下巻. 近藤出版社. (日本史料選書 4) (当館請求番号 211.5/ニ-1)
- 尾崎真理. 近世後期における幕府備荒貯蓄政策の特質―畿内幕領村を対象に―. 大阪歴史学会, 2014.6. ヒストリア 244 p. p1~33, ISSN 0439-2787 (逐次刊行物)
- キーワード
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- 年貢米
- 玄米
- 籾
- 備荒
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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◆国税庁>税務大学校>租税史料>税の歴史クイズ>「年貢米」>「年貢米」(答え)に、「年貢は玄米で納入することが基本でした。年貢に限らず、江戸時代の「米」という言葉は玄米を指します。庶民が領主に年貢として納める米も、庶民が商品として出荷する米も、脱穀して籾摺り(もみすり)をした玄米の状態の米だったのです。…(中略)…7世紀後半に律令制で租庸調が定められ、そのうち、田に課された税(租)は頴稲(えいとう、穂に付いたままの籾)で納められていました。その後、8世紀の初頭には脱穀した籾で納める形に変化し、それから数百年をかけて、租税として納める米は、籾から玄米に置き換わっていったのです。」とあるが、記述の出典は不明。
https://www.nta.go.jp/ntc/sozei/quiz/1504/answer.htm
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 日本史・江戸時代 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000220332