レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/05/22
- 登録日時
- 2016/10/29 00:30
- 更新日時
- 2016/11/05 15:24
- 管理番号
- 0000001382
- 質問
-
解決
明治33年に、耕地整理の経験者として石川県から福井県に招聘され、下文殊村大土呂(現福井市)で指導した「北田弥三右衛門」について、なにか分かることがありましたら、ご教示ください。
- 回答
-
(1)『石川県土地改良史』p367「上安原村の田区改正」という項に
「この(田区改正)の技術は、後に石川郡二塚村字野(上安原村の隣で明治29年1月に着工)の北田弥三兵衛、南野仁三郎及び北笹塚(明治31年2月着工)の四ツ屋太三郎等が久兵衛から伝習し、算者と呼ばれて県内外の設計指導にあたっている。」とあります。
(2)『二塚郷土史』p308「耕地整理」の項では、
「尚そのほか野村の北田八十右エ門も県の技手として福井県丸岡付近の耕地整理を行い、今でもこの地に氏の顕彰碑が残っている。」とあります。
(3)二塚村字野の第一期の耕地整理の内容は、『石川県石川郡誌』p235によると、地区名:二塚村字野、旧面積:34.1608、起工年月:明治29年1月、とあります。
(4)なお、石川県の官吏経験者ではないかと、官員履歴の索引を確認しましたが、掲載されていませんでした。(『石川県史料 第5巻』石川県立図書館∥編 石川県立図書館 1975)
- 回答プロセス
-
(1)『石川県尾口村史 第2巻』(尾口村史編纂専門委員会編 尾口村 1979)p63には、尾添の林道場に伝わる林治郎右衛門の明治45年の「歴代帳」に、「ア子をちよワ北田弥三右衛門へユク」とあり、林家と縁戚の可能性があることがわかる。
(2)尾口村の人であるかもしれないと、『石川県尾口村史 第2巻』『石川県尾口村史 第3巻』(尾口村史編纂専門委員会編 尾口村 1981)および、『石川県能美郡誌』(石川県能美郡役所編 大和学芸図書 1981.4)の尾口村部分を確認してみましたが、北田弥三右衛門」に関する記述は見つからない。
(3)耕地整理に関する研究書、『樋田魯一と耕地整理』(須々田黎吉編著 日本経済評論社 2010.11)『地租改正と割地慣行』(奥田晴樹著 岩田書院 2012.10)を確認したがみつからない。
(4)石川県でも耕地整理の先進地とされている安原村の『安原郷土史』(北田八州治編 安原農業協同組合 1974.8)および『石川県石川郡誌』(石川郡自治協会編 臨川書店 1985.10)の安原村部分を確認したがみつからない。
- 事前調査事項
-
明治33年6月「足羽県下文殊村大土呂に於て、石川県より該事業経験者北田弥三右衛門を聘して耕地六十九町歩余の整理に着手し、」とある(『福井県農会史』)
- NDC
-
- 農業 (61 9版)
- 参考資料
-
- 1 石川県土地改良史 石川県農林水産部耕地建設課∥編 石川県土地改良事業団体連合会 1986.3 K611/222 p367
-
2 二塚郷土史 二塚郷土史編集委員会∥編 二塚農業協同組合 1978 K222/48 p308 -
3 石川県石川郡誌 石川郡自治協会∥編 臨川書店 1985.10 K223/66 p235
- キーワード
-
- 北田弥三右衛門
- 耕地整理
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000198864