レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017.10.13
- 登録日時
- 2017/10/11 20:10
- 更新日時
- 2023/12/06 19:21
- 提供館
- 京都市図書館 (2210023)
- 管理番号
- 右中-郷土-104
- 質問
-
解決
西高瀬川を利用した木材の輸送ルートについて知りたい。
- 回答
-
京都では、平安時代から禁裏用材(宮中の屋敷などを建てるための木材)として、丹波山国(北山連山の北西)の木材を、大堰川、保津川から桂川ほとりの嵯峨まで輸送していました。木材の輸送は、筏流しという方法が用いられていました。保津川は川幅が狭い場所が多かったのですが、慶長11年(1606)角倉了以により開削され、高瀬舟と呼ばれる浅い平型の小舟で往来ができるようになりました。その輸送ルートが「丹波木材の流通略図」として【資料1・2】に掲載されています。
京都の西方に位置する嵯峨に到着した木材を、10km以上も離れた京都の中心部へ輸送するのは困難なことでした。そこで掘削されたのが、全長約15kmの西高瀬川です。文久3年(1863)に開通、その後も改修・開通が続き、明治3年(1870)には、高瀬舟の往来が可能になり、その後筏流しも許可されました。西高瀬川の終着地点にあたる千本三条には、材木業者が多く店を構えるようになりました。
西高瀬川の変遷は、文久3年頃の地図【資料5・6】、文久3年と現在の川との比較地図【資料7】、明治22年(1889)頃の地図【資料3】で見ることができます。
明治32年(1899)京都鉄道(現在のJR山陰本線)が開通すると、木材の輸送は鉄道に変わっていきました。
西高瀬川についての質問は【ウェブサイト1】に詳しく掲載しています。
- 回答プロセス
-
●“木材・材木・製材”のキーワードで当館郷土資料を検索【資料1~4】
【資料1】「丹波材の流通発展と筏流し由来」、「西高瀬川開発と千本材木商由来」筏流しや木材保管池の白黒写真あり
【資料3】「嵯峨材木業の成立と変遷」筏流しや木材保管池の写真あり
【資料4】「明治期の京都木材市場~特に嵯峨・千本市場について~」藤田叔民/著
●当該地域の歴史についての当館資料を検索【資料5~8】
●“川”というキーワードで当館郷土資料を検索【資料9】
【資料9】「幕末期の諸物資輸送ルート~西高瀬川」
●京都に関する事典を確認【資料10・11】
【資料10・11】「西高瀬川」の記載あり
- 事前調査事項
- NDC
-
- 近畿地方 (216 9版)
- 森林史.林業史.事情 (652 9版)
- 河海工学.河川工学 (517 9版)
- 参考資料
-
- 【資料1】『京都木材業史』(西野 元太郎/著 京都木材業史後援会 1973)p41~79、p70「丹波木材の流通略図」
- 【資料2】『京都嵯峨材木史』(京都嵯峨材木史編纂委員会/編集 嵯峨材木 1972)p11「丹波山国材流通略図」
- 【資料3】『嵯峨製材協同組合創立50周年記念誌』(嵯峨製材協同組合創立50周年記念式典実行委員会 2014)p38~63、p50「明治22年の地図」
- 【資料4】『京都社会史研究』(同志社大学人文科学研究所/編 法律文化社 1971)p354~403
- 【資料5】『新撰京都叢書 第11巻 上 古地図集』(新撰京都叢書刊行会/編 臨川書店 1987)所収「西川通船路新開図」
- 【資料6】『西院の歴史』(小澤 嘉三/著 西院の歴史編集委員会 1983)p144~148「西高瀬川」、p146「西川通船路新開図」
- 【資料7】『京都の歴史 7 維新の激動』(京都市/編 京都市史編さん所 1979)p116~122「西高瀬川の開鑿計画」、p118 「西高瀬川開通図」
- 【資料8】『郷土の今昔』(嵐山学区郷土誌研究会 1979)p163~350
- 【資料9】『京の川』(森谷 尅久/著、山田 光二/著 角川書店 1980)p158~165
- 【資料10】『日本歴史地名大系 27 京都市の地名』(平凡社 1979)p1022“西高瀬川”
- 【資料11】『京都大事典』(佐和 隆研/[ほか]編 淡交社 1984)p709“西高瀬川”
-
【ウェブサイト1】京都市図書館HPレファレンス事例紹介「西高瀬川について知りたい」
https://www.kyotocitylib.jp/winj/reference/search-detail.do?idx=0
(2017.10.13確認)
- キーワード
-
- 西高瀬川
- 木材
- 材木
- 製材
- 嵯峨
- 筏流し
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000222963