レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年10月22日
- 登録日時
- 2021/03/13 14:06
- 更新日時
- 2021/03/23 13:33
- 管理番号
- 県立長野-20-110
- 質問
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未解決
明治期に長野県の人が創立した東京天蚕(てんさん)社の概要を知りたい。安曇野市のweb siteの安曇野ゆかりの先人たち【最終確認2021.3.19】によると曽根原林三が創業者のようだ。
- 回答
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養蚕、蚕糸業に関する当館資料を調査したが、天蚕社の設立、経営等に言及したものを確認することはできなかった。
『南安曇郡誌 第3巻 下』 p.872-873の曽根原林三の項の記述によると、天保13年(1842年)生まれで、36歳の時に東京に天蚕社を設け、社長となったとある。明治14年(1881年)には開源社(穂高周辺域)を設立し、柞蚕(さくさん)飼育を広めたことにより、没後の大正3年(1914年)に南安曇郡長から表彰状が贈られており、その本文の掲載があった。明治20年(1887年)12月9日45歳で没したとあったが、天蚕社創設への経緯等に触れられていなかった。
『穂高町誌 歴史編 上』 p.302-306にかけて、近世の農業のうち天蚕・柞蚕の項目があり、p.305に曽根原林三・開源社が、柞蚕導入を郡役所へ願い出た文書2通を紹介している。これらの文書によれば、有明村での飼育は明治5年(1872年)が最初と思われる。
一方、『穂高町誌 歴史編 下』 p.203-213産業と経済の章、第一節農業 3 養蚕業と天柞蚕業の中で、p.204の柞蚕の項目中、「穂高町有明地区には、曽根原林三により明治一二年ごろ移入された。」とあります。『穂高町誌 歴史編 上・下』 どちらにも、天蚕社についての記述は見られなかった。
『信州人物誌』p.278-279にも記述があるが、『南安曇郡誌 第3巻 下』 p.872-873を基にしている。亡くなった時の年齢が46歳となっているが満年齢での計算と数え年齢での計算の違いかと思われる。
利用者が調査資料としてあげているもののほかには、国立国会図書館デジタルコレクションで公開している 望月佐一 ; 曾根原林三著 「柞蠶質問並答」【最終確認2021.3.19】『大日本農会報告』 第17号 1882.11 p.47-48は、『大日本農会報告』 第6号掲載の曽根原の記事に対して寄せられた質問に答えたもので、6, 17号ともに、柞蚕飼育法に関するものでした。
- 回答プロセス
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1 利用者の調査済み資料のうち、安曇野市のweb siteで「安曇野ゆかりの先人たち」【最終確認2021.3.15】で、「曽根原林三(そねはら りんぞう)」の略歴を確認する。
2 『長野県歴史人物大事典』赤羽篤編 郷土出版社1989【N283/13】でも、新屋村(現・安曇野市)生まれと記述がある。郷土分類N232(南安曇郡地域の歴史)の書棚で、近隣の町村も含めて、誌史類を調べる。
3 郷土分類N280(伝記)の書棚で「曽根原林三」を探すが、関係するものを発見できない。
4 郷土分類N630(蚕糸業)の書棚で「天蚕社」「曽根原林三」を探すが、詳しい資料は確認できない。
5 国立国会デジタルコレクションで「曽根原林三」を検索する。
<調査資料>
・『南安曇郡誌 第3巻 上』 南安曇郡誌改訂編纂委員会編・刊 1974 【N232/6/3-1】
・『南安曇郡誌 第3巻 下』 南安曇郡誌改訂編纂委員会編・刊 1971 【N232/6/3-2】
・『穂高町誌 歴史編 上』 穂高町誌編纂委員会編 穂高町誌刊行会 1991 【N232/50/2】
・『穂高町誌 歴史編 下』 穂高町誌編纂委員会編 穂高町誌刊行会 1991 【N232/50/3】
・『長野県史近代史料編 第5巻(3)蚕糸業』 長野県編 長野県史刊行会 1980 【N209/11-1/5-3】
p.389に 『穂高町誌 歴史編 上』に掲載された文書と同じものがある。
・『信州蚕界之人物』 尾崎隈川著 信濃蚕業評論社 1929 【N280/26】
・『信州人物誌』 田島 清[ほか]編 信州人物誌刊行会 1973 【N280/85a】
・『長野県製糸業史研究序説』 武田安弘著 信濃史学会 2005 【N639/24】
・『信濃人物誌 』 佐藤寅太郎編 文正社 1922 【N280/4】
・『信濃名士伝 初編』 松下軍次著 松下軍次 1894 【N280/5】
・『新人国記名士の少年時代 中部篇』 報知新聞社通信部編 平凡社 1930 【N280/6】
・『帝国信興名監』 丸山孝編 信興社 1904 【N280/7】
・『郷土信州紀念録』 志水弥生編 郷土信州社 1936 【N280/132】
・『近代を築いたひとびと 1』 坂本令太郎著 信越放送 1971 【N280/91/1】
・『近代を築いたひとびと 2』 坂本令太郎著 信越放送 1971 【N280/91/2】
・『近代を築いたひとびと 3』 坂本令太郎著 信濃路 1975 【N280/91/3】
・『近代を築いたひとびと 4』 坂本令太郎著 信濃路 1975 【N280/91/4】
・『近代を築いたひとびと 5』 坂本令太郎著 信濃路 1978 【N280/91/5】
・『郷土の華』 吉田一作美編 郷土の華刊行会 [1951] 【N290/50-1】
・『信濃名誉録』 西沢俊司編 西沢俊司 1893 【N280/61】
・『信濃人物略誌』 小出広編 信濃青年会 1919 【N280/77】
・『信濃風物記』 掛川喜遊 名古屋新聞社出版部 1928 【N280/44】
・『安曇之偉人』 多田宗次編 多田宗次 1901 【N280/35】
・『空拳努力 信濃立志伝』 轟真広著 轟真広 1922 【N280/22】
- 事前調査事項
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以下の12点に「天蚕会社」「天蚕社」の言葉が出てくる。
1 『報告書・天蚕会社飼養法伝聞大旨』明治11年10月3日
(宮沢外骨蒐集史料・府藩県制史関係)(東京大学学術資産等アーカイブポータル)【最終確認2021.3.19】
2 『千葉県史料 明治初期七』千葉県企画部広報県民課編 1987年 p.170-179
3 『千葉公報』明治14年4月19日号
4 千葉県市川市 中山法華経寺墓地 岩崎家墓誌
5 『日本野蚕論』【最終確認2021.3.19】田村兼蔵 興文社 明治36年8月(国会図書館デジタルコレクション)p.15
6 『明治前日本蚕業技術史』日本学士院・日本科学史刊行会 1960年 p192
7 『信濃蚕糸業史』【最終確認2021.3.19】大日本蚕糸会信濃支会[編] 信濃毎日新聞社 1975年 (国会図書館デジタルアーカイブ)p.661
8 『[図説]技術と日本近代化』(放送ライブラリー10)吉田光邦著 1977年 日本放送出版協会
p.121-122 ラベル写真
9 『困民党蜂起 秩父農民戦争と田代栄助』千嶋寿著 田畑書房 1983年 p150
10 「安曇野市HP-安曇野ゆかりの先人たち」
11 「ワニと山繭-「鮫の魅入り伝承」にみる海と山の交流―」 板橋春夫
(福島県立博物館企画展図録「天の絹絲―ヒトと虫の民俗誌-」1998年10月)
12 『殖民公報』(86) 【最終確認2021.3.19】北海道庁 1915年9月 (国会図書館デジタルコレクション)
「松本天蚕社は長野県松本市に在り南北安曇及東筑摩三郡の天柞蠶生産家の組織により資本金三萬圓株主七名より成る組合にして大正二年三月の創立に係り社長を衆議院議員の降旗元太郎、飼育主任を下里孫十郎號大魯とす。」
- NDC
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- 蚕糸業史.事情 (632 10版)
- 蚕種 (634 10版)
- 中部地方 (215 10版)
- 参考資料
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南安曇郡誌改訂編纂会/編 , 南安曇郡誌改訂編纂会 , 南安曇郡誌改訂編纂会. 南安曇郡誌 第3巻(下)[付図]. 南安曇郡誌改訂編纂会, 1970-12.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I068193768-00 (【N232/6/3-2】 p.872-873) -
穂高町誌編纂委員会編 , 穂高町(長野県) , 穂高町誌編纂委員会. 穂高町誌 [第1巻] 自然編,第2巻 歴史編上・民俗編,第3巻 歴史編下. 穂高町誌刊行会, 1991.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I007196738-00 (【N232/50/2】 p.302-306) -
赤羽篤 [ほか] 編 , 赤羽, 篤. 長野県歴史人物大事典. 郷土出版社, 1989.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I004556839-00 , ISBN 4876631263
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南安曇郡誌改訂編纂会/編 , 南安曇郡誌改訂編纂会 , 南安曇郡誌改訂編纂会. 南安曇郡誌 第3巻(下)[付図]. 南安曇郡誌改訂編纂会, 1970-12.
- キーワード
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- 養蚕
- 天蚕社
- 曽根原林三
- 安曇野市穂高
- 柞蚕
- 信州学
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000295215