レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年11月03日
- 登録日時
- 2013/11/12 18:45
- 更新日時
- 2014/01/08 14:23
- 管理番号
- 埼浦-2013-030
- 質問
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未解決
幕末関東地方の捕鯨の運上銀(税)について、鯨の捕鯨状況や種類によって異なる税の額や納め方の詳細を知りたい。
- 回答
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運上銀(税)について詳細な記述がある資料は見つからなかった。
関東地方で本格的に捕鯨業が行われていた地域は、調査した範囲では、現在の千葉県房総のみだったため、参考に回答プロセスの房総における捕鯨について記述のある資料と、江戸時代の一般的な捕鯨の税率等についての資料を紹介した。
房総の捕鯨史に関しては、複数の資料が出典に「房南捕鯨」(吉原友吉著 郷土史料図書館相沢文庫 1982)と「鋸南町史」(鋸南町史編纂委員会編 国書刊行会 1983)をあげているため、所蔵のある国会図、千葉県図、都立中央図を紹介した。
- 回答プロセス
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1 捕鯨の税(運上、分一)について記述のある資料を調査する。
『国史大辞典』(吉川弘文館)
〈運上〉「(15)小漁運上 鰯漁・鯨漁を大漁、鰹・鮭などを小漁とし、大漁には分一を(中略)課した。参考文献 大蔵省「大日本租税史」「明治財政史」、安藤博編「(徳川幕府)県治要略」本庄栄治郎「日本財政史」」とあり。
『日本史大事典』(平凡社)
〈分一 ぶいち〉「江戸時代における雑税の一種。その内容は、①商業・漁業・山林業などに従事するものからその売上高・収穫高の何分の一かを徴収するもの、(中略)①については、江戸時代の田制・税制についての代表的な手引書である「地方凡例録 じかたはんれいろく」によると、(中略)鯨分一とは、鯨を捕獲した場合、浦役人が立ち会って近くの村々に入札させ、落札分の何分の一かを徴収した。この場合、鯨の捕獲の状況いかんによって、たとえば銛で突き止めた突鯨と、傷を受けたり死んだりして海岸に漂着した鯨とでは、分一の割合が異なっていた。(後略)」とあり。
『地方凡例録 上』(大石慎三郎校訂 東京堂出版 1995)
p321-322「鯨分一金」房州勝山浦の土鯨漁に言及あり。突鯨(房総に限らず全般)の分一は廿分の一。
p323-329「突鯨・寄鯨・流鯨・切鯨分一定法之事」寄鯨、流鯨、切鯨各々の分一あり。常州鹿島浦、下総国銚子浦、鹿島郡下津村の事例あり。
『徳川幕府県治要略』(安藤博編 柏書房 1981)
p142-143〈分壱金〉「(前略)鯨漁に係る徴税は一般に行はれたり、而して該漁ありたるとき官應へ訴出、吏員臨検の上入札払とし、分一金を徴し、残金は当時の漁者及村里へ給付するものとす、税率は漁獲の難易に依り差あり左の如し。」とあり。以下漁の種類による税率あり。
『くじら取りの系譜』(中園成生著 長崎新聞社 2001)
p74-76「資金と税金」天保年間までの中国、九州の捕鯨についてや税について記述あり。文中の引用文献「前目勝本(元)永続鑑」
2 千葉県の捕鯨について記述のある資料を調査する。
『千葉県史料 近世篇 安房国 上』(千葉県企画部県民課編 1954)
p100 36「加知山村漁運上冥加書上帳」に、木更津県あて勝山村の鯨運上の記述あるが、明治5年のもの。
『クジラと日本人の物語 沿岸捕鯨再考』(小島孝夫編 東京書店 2009)
p99- 小島孝夫「安房地方の捕鯨」あり。文中の引用文献に「房南捕鯨」「鋸南町史 通史編(改訂版)」とあり。
『捕鯨の文化人類学』(岸上伸啓編著 成山堂書店 2012)
p187 小島孝夫「千葉県和田浦の小型捕鯨業の現状と課題」
参考文献 上記と同じほか、『地方凡例録 上』、「沿岸小型捕鯨」(小牧恭子編「鰤の主と和田の漁業」(私家版)千葉県立中央図所蔵)とあり。
『日本漁業経済史 中巻2』(羽原又吉著 岩波書店 1982)
p451「第19章関東漁業の揺籃期 第4節黎明期 4漁業各論 (7)捕鯨業」あり。
『日本捕鯨文化史』(矢代嘉春著 新人物往来社 1983)
p17-69「醍醐組の成立から終焉まで」1612-1870年まで捕鯨を続けた南房勝山港の醍醐組についての論考あり。
『くじらの文化人類学 日本の小型沿岸捕鯨』(ミルトン・M.R.フリーマン編著 高橋順一他訳 海鳴社 1989)
p101〈房総沖のツチ鯨漁〉千葉県安房郡の捕鯨について「捕鯨権は領主によって認知され、醍醐組にのみ独占的に与えられた。補獲した鯨には税が課せられ、寄り鯨の扱いに関する細かい規定も存在していた。」とあり。
『千葉県の歴史 通史編 近世1 県史シリーズ4』(千葉県史料研究財団編 千葉県 2007)
p964-966にコラム「房総の鯨漁」あり。勝山村(鋸南町)及び岩井袋村(鋸南町)の鯨漁の紹介。運上銀についてはないが、韮山代官江川英龍が1939(天保十年)に幕府勘定所に対して伊豆、相模、上総での鯨漁について報告した史料の紹介あり。このコラムの参考文献として、吉原友吉「房南捕鯨」(『東京水産大学論集 11号』1967)、「鋸南町史」(鋸南町 1969)、『韮山町史 6下巻』(韮山町 1994)があげられている。
『韮山町史 6下巻』(韮山町 1994)を調査する。
p537「鯨漁調査報告(天保十年)」江川太郎衛門名での報告。房州平群郡勝山、岩井袋の鯨漁が平均一年に十尾位。伊豆、相模、大島周辺の漁、一隻あたりの費用及び文末に鯨の買請額の記載があるが、運上銀についての記述はなし。(出典は「江川坦案庵全集」)
3 インターネット情報
《千葉県立図書館 デジタルアーカイブ》より「房南捕鯨志」(竹中邦香)を調査する。(https://e-library.gprime.jp/lib_pref_chiba/dfp.view_data.form?data=%2F%E5%8D%83%E8%91%89%E7%9C%8C%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%96%2F%E6%98%8E%E6%B2%BB%E3%83%BB%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E3%83%BB%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%88%9D%E6%9C%9F%E8%B3%87%E6%96%99%2F0000000010-CHB600259&sortKey=&sortOrder=false&sortItemType=&searchterm=%7B%22%E6%88%BF%E5%8D%97%E6%8D%95%E9%AF%A8%22%3A%5B%5D%7D&permissionTerm=%7B%22range%22%3Anull%2C%22name%22%3Anull%2C%22value%22%3Anull%2C%22type%22%3Anull%2C%22keyWord%22%3Anull%7D&detailterm=&searchCategory=%2F&selectCategory=¤tPage=1&pageSize=20&template=&isSynonymsSearch=false 千葉県立図書館 2013/12/20最終確認)
(解説より)「上巻は安房の捕鯨について、その起源、鯨の種類、漁場などについて記述したもの。下巻は関沢明清(加賀藩出身で英国留学後、明治政府の官吏となる)が、明治20年に試作した捕鯨機械の伊豆大島沖での試験の顛末を記したもの。「房南捕鯨」(吉原友吉著 郷土史料図書館相沢文庫 1982)に翻刻が掲載されている。」とあり。
《千葉県歴史関係雑誌記事索引検索》を〈鯨〉で検索すると捕鯨史に関する記事もヒットするが、当館未所蔵。
その他調査済資料
『日本捕鯨史話』(福本和夫著 法政大学出版局 1978)参考文献『江戸参府紀行』(シーボルト著)
『クジラと日本人』(小松正之著 青春出版社 2002)
『日本財政史』(本庄栄治郎著 改造社 1926)
『鯨の日本文化誌』(高橋順一著 淡交社 1992)
『元禄の鯨』(浜光治著 東京 南風社 1993)
『日本民俗文化資料集成 18 鯨・いるかの民俗』(谷川健一責任編集 三一書房 1997)
『鯨と捕鯨の文化史』(森田勝昭著 名古屋大学出版会 1994)
『日本漁民史』(石田好数著 三一書房 1978)
『黒船異聞』(川澄哲夫著 有隣堂 2004)
『千葉県史料 近世篇 安房国 下』(千葉県企画部県民課編 1956)
『千葉県の歴史 通史編 近世2 県史シリーズ5』(千葉県史料研究財団編 千葉県 2008)
『千葉県の歴史 資料編 近世2 安房 県史シリ-ズ20』(千葉県史料研究財団編 千葉県 1999)
『千葉県の歴史 資料編 近世1 房総全域 県史シリーズ19』(千葉県史料研究財団編 千葉県 2006)
『神奈川県百科事典』(神奈川県百科事典刊行会編 大和書房 1983)捕鯨、鯨の項目なし。
- 事前調査事項
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『ものと人間の文化史120-1 捕鯨Ⅰ』(山下渉登 法政大学出版会 2004)
p241〈鯨組と藩〉〈巨額の運上銀〉平戸藩 1795年の例あり。(出典 松下士朗「西海捕鯨業における運上銀について」(「創立三十五周年記念論文集」人文編 福岡大学研究所 1969)
関東については記述なし
- NDC
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- 漁労.漁業各論 (664 9版)
- 租税 (345 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 租税制度-日本-江戸末期
- 捕鯨
- 運上銀
- 分一金
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000140402