レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/05/16
- 登録日時
- 2013/07/19 00:30
- 更新日時
- 2013/07/24 10:20
- 管理番号
- 0000000031
- 質問
-
解決
1・大正6~8年当時の金沢駅及び駅構内の写真
昭和11~12年当時の金沢駅及び駅構内の写真
2・駅前の風景が写っている写真(大正6~8年頃と昭和11~12年頃)
3・大正時代にどんな乗り物が駅前に並んでいたのか(客待ちのタクシーなど)
- 回答
-
《写真》
「大正6~8年」「昭和11~12年」との指定があったが、該当するものが見当たらなかったので、「大正から昭和初期」まで範囲を広げて写真を探した。
見つかった7種類の写真に、A~Gの記号と仮のタイトルを付けた。
7種類のうち、D「駅前のバス」は、同じ写真を「大正後半」としている資料が2つ、「昭7(1932)」としている資料が1つあった。
1-1.大正6~8年当時の金沢駅及び駅構内の写真
A「大正時代の金沢駅」
・北陸鉄道株式会社編『北鉄の歩み』北陸鉄道株式会社 1974.3(K335/20)p16
1-2.昭和11~12年当時の金沢駅及び駅構内の写真
B「金沢駅と照明塔」
・金沢市編『金沢市写真帖』金沢市 1933(K292.2/42)(ページ付けなし)
・石川県写真史編纂会編『石川写真百年「追想の図譜」』能登印刷 1979(K209.6/5)p222
・北陸中日新聞社編『石川百年』北陸中日新聞社 1989.3(K209/39)p7
・丸山 敦,住川 俊一郎共著『金沢のいまむかし』国書刊行会 1991.2(K222/109)p37
・中井 安治著『鉄路有情』中井安治 1997.11(K686/1001)p45
・『目で見る金沢の100年』郷土出版社 2001.10(K222/1015)p60
・北國新聞社出版局編集『ふるさと写真館』北國新聞社 2008.7(K209/1009)p166
2-1.大正6~8年頃の駅前の風景の写真
C「金沢駅前の人力車」
・北陸鉄道株式会社編『北鉄の歩み』北陸鉄道株式会社 1974.3(K335/20)p9
D「駅前のバス」
・北陸鉄道株式会社編『北鉄の歩み』北陸鉄道株式会社 1974.3(K335/20)p48
(「大正後半」とキャプションにあり)
・北陸鉄道株式会社社史編さん委員会編『北陸鉄道50年史』北陸鉄道 1993.12(K335/85)p36
(「大正後半」とキャプションにあり)
2-2.昭和11~12年頃の駅前の風景の写真
D「駅前のバス」
・金沢市[編]『金沢』金沢市 1989.4(K222/93)p20-21
(「昭7(1932)」とキャプションにあり)
E「駅舎から見た駅前広場」
・丸山 敦,住川 俊一郎共著『金沢のいまむかし』国書刊行会 1991.2(K222/109)p39
・いき出版企画・製作『写真アルバム金沢の昭和』いき出版 2010.7(K222/1038)p12
F「金沢駅での団体客」
・中井 安治著『鉄路有情』中井安治 1997.11(K686/1001)p62
G「駅前風景」
・金沢ステーションデパート社史編纂委員会編『金沢ステーションデパート十五年史』
金沢駅地下ビル 1968(K686/4)巻頭図版より
・石林 文吉著『石川百年史』石川県公民館連合会 1972(K209/22)p783
《乗り物》
大正時代の金沢駅前に並んでいた乗り物については、C「金沢駅前の人力車」のキャプションに「大正13年」とある。
資料には、以下のように書かれている。
『石川県史 現代篇 2』石川県 1963(K209/1/2)
「人力車の没落:…大正8年に開通を見た街鉄市内線と自動車の進出に挟撃された人力車は、ことに金沢駅構内にこれまで常時130台を数えていたが、8年4月には100台、7月には83台、翌9年5月には73台にまで減少した。…」(p456)
「メータクの出現と車夫:当時なお金沢駅にはタクシーの設置は見られなかったが、翌大正14年になると駅構内車夫取締役の塚本某ほかは、駅を中心とするタクシー営業を出願し、…翌15年になって、車夫が平等に出資して組合をつくり、タクシー営業を出願することによって落着し、10月になってはじめてメーターをつけた2台のタクシーで営業を開始したのである。…」(p457)
石林 文吉著『石川百年史』石川県公民館連合会 1972(K209/22)
「明治44年5月には…金沢市内の乗合自動車営業を出願…。計画によれば12人乗り車両6両を使用し、停留所は金沢駅前、武蔵辻、…。…名称は北陸自動車株式会社となったが、実際の発足は大正年8月6日からだった。この日金沢としては初の自動車3台が東京から送られてきて、2台を乗合に、1台を貸付専用にして開業したという。」(p780)
「[大正]14年になって駅構内車夫取締役の塚本某が構内タクシーの営業を出願したので、車夫たちは猛烈な不許可運動を起こした。しかしそんな運動は奏功するはずがなく、結局構内タクシーは出現した。このため翌15年11月には、残っている車夫54人が共同出資して自らも乗用車2台を購入、誠心会と名乗って構内タクシーをはじめた。」(p782)
中井 安治著『鉄路有情』中井安治 1997.11(K686/1001)
「金沢駅前を始発駅のように、市内を縦横に走り回った路面電車の“街鉄(市電)”には、金沢駅の沿革をも秘めていた。北陸線の発展とともに、駅前にズラリ並んだ人力車の全盛期がやってきて、次は哀愁をさそうラッパの乗合馬車期、これもやがて“円タク”自動車へと変わってゆく。」(p48)
北陸鉄道のバス事業は、昭和に入ってから開始。
典拠:北陸鉄道株式会社社史編さん委員会編『北陸鉄道50年史』北陸鉄道 1993.12(K335/85)
「会社のバス事業は、これより遅れて昭和3年8月に金沢~松任間を、翌4年4月に市内乗合バス、さらに前後して郊外路線の免許申請を相次いで行った。認可を得て最初に運行したのは、昭和6年12月、金沢駅前~寺井間24kmで、12人乗り箱型3両と10人乗りの箱型1両を使用した。」(p36)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 運輸.交通.観光事業 (68 9版)
- 参考資料
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- 1 北鉄の歩み 北陸鉄道株式会社∥編 北陸鉄道株式会社 1974.3 K335/20 p9,16,48 p9「金沢駅前の人力車」大正13年、p16「大正時代の金沢駅」、p48「箱型バス」
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2 金沢市写真帖 金沢市∥編 金沢市 1933 K292.2/42 (ページ付けなし) 「金沢駅と照明塔」 -
3 石川写真百年「追想の図譜」 石川県写真史編纂会∥編 能登印刷 1979 K209.6/5 p222 「昭和初年の金沢駅」昭和7年 -
4 石川百年 北陸中日新聞社∥編 北陸中日新聞社 1989.3 K209/39 p7 「昭和初期の金沢駅」 -
5 金沢のいまむかし 丸山 敦∥共著 住川 俊一郎∥共著 国書刊行会 1991.2 K222/109 p37,39 p37「昭和8年ごろの金沢駅前」、p39「昭和5年当時の金沢駅構内より見た駅前の景観」 -
6 鉄路有情 中井 安治∥著 中井安治 1997.11 K686/1001 p45,62 p45「昭和初期頃の金沢駅正面」、p62「昭和初期金沢駅での団体客」 -
7 目で見る金沢の100年 郷土出版社 2001.10 K222/1015 p60 「金沢駅と照明灯」(昭和8年) -
8 ふるさと写真館 北國新聞社出版局?編集 北國新聞社 2008.7 K209/1009 p166 「金沢駅前」(昭和7年) -
9 北陸鉄道50年史 北陸鉄道株式会社社史編さん委員会∥編 北陸鉄道 1993.12 K335/85 p36 「大正後半の箱型バス」(金沢駅前) -
10 金沢 金沢市∥[編] 金沢市 1989.4 K222/93 p20-21 「12人乗りバス登場の金沢駅前」昭和7年 -
11 写真アルバム金沢の昭和 いき出版?企画・製作 いき出版 2010.7 K222/1038 p12 「駅舎から見た駅前広場」(昭和初期) -
12 金沢ステーションデパート十五年史 金沢ステーションデパート社史編纂委員会∥編 金沢駅地下ビル 1968 K686/4 巻頭図版より 「昭和7年の金沢駅前風景」 -
13 石川百年史 石林 文吉∥著 石川県公民館連合会 1972 K209/22 p780-783 「自動車①」「自動車②」(写真は、p783「金沢駅構内で客を待つ構内タクシー」) -
14 石川県史 現代篇 2 石川県∥編 石川県 1963 K209/1/2 p456-457
- キーワード
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- 金沢駅
- 公共交通
- 写真
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000133994