レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年2月16日
- 登録日時
- 2015/11/16 14:30
- 更新日時
- 2015/11/29 15:03
- 管理番号
- 塩尻305
- 質問
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未解決
松本市波田(旧東筑摩郡波田町)で苗木の生産、出荷がいつ始まったか知りたい。
「明治8年ごろに波田からヒノキ50万本を木曽地方へ出荷した」と聞いたことがある。これが波田から苗木を出荷した始まりだと思うが確かめたい。
- 回答
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町誌等を確認し、波田における種苗業が明治20年代から発展したことは分かったものの、波田から木曽へ出荷されたという明確な記述を見つけることは出来なかった。
- 回答プロセス
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まず松本市誌、波田町誌、東筑摩郡誌を確認した。(波田村誌については存在を確認することができなかった。)
【資料1】p616 第4編;第3章 経済沿革;6.苗木 「波多村は翌二十三年(中略)今井村の盛況に刺戟せられ、近傍の落葉松種子を採取し、約二反歩の地に播種せるを最初とす。」との記述あり。
【資料2】p499-500 第2編 歴史;第5章 産業;(5)苗木生産 「東筑の苗木は、明治20年ごろから郡西南部(波田・山形・朝日・今井)を中心に産業として発達した」「この地方で落葉松の育苗に成功したのは今井村古池の塩原氏で、天保八年(1837年)であるという。」との記述あり。
【資料3】
p816-817 第5章 近・現代;第2節 波多村役場の開設と産業の発達;波田苗圃と苗木業 …「明治二十年代から波多・山形の緩傾斜地に、民間苗木業が大規模に発達した」との記述。
p1118-1119 第5章 近・現代;第5節 戦後改革と波田村政の民主化 山林経営と種苗産業 …波田の種苗産業について記述あり。主に戦前~昭和60年まで。
【資料4】p614 林業の展開「東筑摩郡の波多村(波田村)と山形村・今井村一帯は、県下最大の幼苗・成苗生産地だった」との記述。
また、木曽の林業に関する資料も確認したところ、以下のような記述が見つかった。
【資料5】p118 木曽林政史年表(5)に「明治7年 ヒノキ苗10万本を野尻、三殿官林に植林。」との記述があるが、どこの苗木かは不明。
- 事前調査事項
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松本の植木師であった降旗氏が木曽へ運んだらしい。
- NDC
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- 中部地方 (215 9版)
- 林業 (650 9版)
- 参考資料
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【資料1】信濃教育会 , 信濃教育会東筑摩部会 編. 東筑摩郡誌. 信濃教育会東筑摩部会, 1919.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001699067-00 -
【資料2】山形村誌編集委員会/編 , 山形村誌編集委員会. 村誌 やまがた. 山形村誌編纂会.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059277644-00 -
【資料3】波田町誌編纂委員会 編 , 波田町教育委員会 (長野県). 波田町誌 歴史現代編. 波田町教育委員会, 1987.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001913039-00 -
【資料4】松本市 編 , 松本市. 松本市史 第2巻 歴史編 3. 松本市, 1995.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002459710-00 - 【資料5】只木 良也. 木曽ひのき. 林土連研究社, 1997.
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【資料1】信濃教育会 , 信濃教育会東筑摩部会 編. 東筑摩郡誌. 信濃教育会東筑摩部会, 1919.
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000183876