レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年10月04日
- 登録日時
- 2012/10/15 14:56
- 更新日時
- 2013/05/24 15:05
- 管理番号
- 長野市立長野-12-019
- 質問
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解決
富岡製糸場には当初、外国人指導者がきたというが、
①何人くらいいたのか。(14~5人いたと聞く。中には女性もいたようだ。)
②何日くらい滞在したのか。
③外国人指導者を呼ぶのに、いくらぐらいのお金が必要だったのか。
ということが、『富岡町史』に記載があるということを聞いたので調べてほしい。
- 回答
-
群馬県立図書館より以下の回答がありました。
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富岡製糸場の開業当時のお雇い外国人の人数・滞在期間・給料については、
次の資料に記述がありました。
1.『富岡史』(富岡史編纂委員会/編 富岡市役所 1955)
p.735 雇入外国人の俸給
p.760 ブリューナに請われて富岡に来たフランス人の解任時期
2.『富岡製糸場事典』(シルクカントリー双書8)
(富岡製糸場世界遺産伝道師協会/[編] 上毛新聞社 2011.11)
p130-131 お雇い外国人(名前と滞在期間)
p170-171 お雇い外国人の給料
3.『学びパンフレット 富岡製糸場を世界遺産に!!』
(富岡製糸場を愛する会/編・発行2006.2)
Q4-A4 フランスから来た技術者たち
上記をまとめると次のようになります。
〇人数
11人(資料1による。資料3には「12人」となっていますが、名前で数えると11人です。)
首長ブリューナのほか、検査人2人・機械方1人・銅工方1人・医師1人・土木絵図師1人・女工4人。
〇滞在期間
それぞれ滞在期間は異なります。
検査人2人・女工4人については、契約期間は明治5年1月~明治8年12月までの4年間でしたが、
女工1人は明治6年10月23日、検査人2人は明治6年10月30日、女工3人は明治7年3月11日に退場しています。
(資料2による。資料1には、検査人2人・女工1人は明治6年11月、女工3人は明治7年3月解約となっています)
〇お金について
月給はそれぞれ異なります。
検査人・女工の月給は下記のとおりです。
このほか賄料として、検査人には66円、女工には56円がそれぞれに支払われていたようです。
検査人 150ドル
検査人 100ドル
女工 80ドル
女工 65ドル
女工(2人) 50ドル
(資料1・2・3による)
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- 回答プロセス
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国立国会図書館サーチで『富岡町史』と調べるが、福島県富岡町の『富岡町史』しか出てこず。
利用者に『富岡市史』でいいか尋ねるとそれでよいとのこと。
群馬県立図書館にレファレンス依頼する。
『富岡市史』ではないが、他資料で調べていただいた回答をいただき利用者に回答する。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 蚕糸業 (630)
- 参考資料
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- 『富岡史』富岡史編纂委員会/編 富岡市役所 1955
- 『富岡製糸場事典』富岡製糸場世界遺産伝道師協会/[編] 上毛新聞社 2011.11
- 『学びパンフレット 富岡製糸場を世界遺産に!!』富岡製糸場を愛する会/編・発行2006.2
- キーワード
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- 富岡市
- 照会先
- 寄与者
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- 群馬県立図書館(http://www.library.pref.gunma.jp/)
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000112505