レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006/09/14
- 登録日時
- 2006/12/08 02:11
- 更新日時
- 2024/03/30 00:31
- 管理番号
- M06091508154178
- 質問
-
『花神』で村田蔵六とイネが出会った山陽道沿いの「沼」の茶店について本当にあるのか知りたい。
- 回答
-
『吉備と山陽道』によれば沼の「赤坂に一里塚があり、その西方山腹に茶屋壇と呼ばれる休み茶屋があった」とする。そして茶屋は豊臣秀吉の九州攻めの時、宇喜多秀家が茶屋を建てて接待したと伝えられているとする。『上道郡誌』では「太閤休茶屋」の項で、秀吉が備中高松城を攻める時に宇喜多秀家が作った茶屋とする。また「沼の茶屋の今昔」項では往時の賑わいを紹介している。なお『吉備と山陽道』によれば当地には近世の茶屋建物が長く残っていたが、「三十数年前に吉備路風土記の丘県立自然公園に解体移築され」たとしている。この茶店で実際に村田蔵六とイネが出会ったかは確認できなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 交通史.事情 (682 9版)
- 参考資料
-
- 司馬遼太郎『花神(一)』新潮社,1972. 土井作治・定兼学編『吉備と山陽道 街道の日本史40』吉川弘文館,2004. 上道郡教育会編『上道郡誌』上道郡教育会,1922. 岡山県教育委員会編『岡山県歴史の道調査報告書 山陽道』岡山県教育委員会,1992.
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2006091508135254178
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000032214